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ヒストリー

ヒロシマの記録1946 6月


1946/6/1
「夕刊ひろしま」が創刊(「中国新聞百年史」)
1946/6/1
広島市町会連盟が発足
1946/6/2
「広島原爆の重量は4トン」。英デーリー・エクスプレス紙が伝える
1946/6/6
広島市役所で広島市警防団員約600柱の慰霊式。広島東、西、宇品の3警防団合同
1946/6/6
広島児童文化振興会が主催し、国民学校3年以上の児童による爆心地の相生橋、産業奨励館写生大会
1946/6/14
広島市復興顧問の米モンゴメリー中尉が広島市に帰国あいさつ。「戦災供養塔は国際平和記念塔とするのが望ましい。占領が続いている限り、国際平和会議開催は夢物語」と語る
1946/6/14
国連原子力委員会が第1回会議。バルーク米代表が原子力国際管理案を発表。兵器としての原爆を否定し、原爆製造停止、現有爆弾の処分-など提示
1946/6/15
広島市復興局が広島駅前の不法建物所有者に21日までに立ち退くよう指示
1946/6/15
米ノーマン・カズンズ氏が「土曜文学評論」6月15日号で原爆の投下責任を論じる。「公開実験を行うべきだった」
1946/6/15
伝染病患者用の「広島市避病院」が舟入西幸町に竣工、治療開始へ。住民が反対表明
1946/6/20
広島県庁が東洋工業の仮住まいから旧兵器廠(現広島大医学部)へ移転始める。引っ越し料20万円
1946/6/27
中国新聞が原爆戦災1周年で主催記念事業発表。(1)追善盆踊り大会(2)「ユートピア広島の建設」論文募集(3)「歌謡ひろしま」懸賞募集(4)原子弾に寄せる音楽会-など
1946/6/30
米戦略爆撃調査団の報告書「広島・長崎の原爆の効果」公表
1946/6/--
6月1~15日の間の広島転入希望者は3,426人
1946/6/--
作曲家山田耕筰氏が「原子爆弾に寄せる譜」を作曲

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