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ヒストリー

ヒロシマの記録1946 11月


1946/11/1
雑誌「女性改造」11月号に、中野五郎氏が「『ヒロシマ』アメリカ記録文学の問題について」を寄稿
1946/11/10
岡山医大で開かれた第38回中四国眼科学会で、広島逓信病院の小山綾夫医師が「原子爆弾による角膜、網膜火傷例」を発表
1946/11/11
復興院嘱託で東大助教授の丹下健三氏一行が広島市入り。「人口は30万から35万人が妥当」
1946/11/15
広島戦災児育成所の5戦災孤児がそろって京都の西本願寺で得度式
1946/11/17
NHK広島中央放送局が復興、スタジオ開き
1946/11/18
英デーリー・エクスプレス紙が「英は米に原爆の供給を申し入れたが断られる」と伝える
1946/11/19
米海軍がハーバード大医学部のスネル、ブラウン両医師を広島市に派遣し、日本医療団宇品病院で診療。12月7日まで
1946/11/19
胃腸病で入院中の木原広島市長が、広島入りした石橋湛山蔵相を担架で訪ね陳情。20日、石橋蔵相が日赤広島支部に市長を見舞う
1946/11/22
テネシー州オークリッジの原爆研究所が、ポール・ヘンショー、オースチン・ブルーズ両博士らを原爆の影響研究のため日本に派遣へ。12月6日、都築正男博士の案内で広島入り。7日、広島逓信病院などを視察。同調査団の現地調査団が原子爆弾傷害調査委員会(AtomicBombCasualtyCommission)と呼ばれる
1946/11/26
国連総会に対し、ソ連のモロトフ外相が原子兵器の秘密公開を迫る
1946/11/29
広島市の軍用地払い下げ折衝で、浜井信三広島市助役らが上京。広島に帰り「石橋湛山蔵相の広島入り以来、中央の広島市復興の熱意が好転した」と語る
1946/11/29
国連総会委員会でソ連のビシンスキー代表が「軍縮の第一歩として原爆の使用を禁止しなければならない。使うつもりさえなければ製造を禁止できよう」と述べる
1946/11/--
広島市の復興促進のため市議会、商工会議所議員、各町会連盟会の有力者を網羅し「広島復興協会」が発足。理事長に砂原格氏
1946/11/--
原爆による一家全滅などで戸籍抹消ができない家族が一時、5,000人弱も。徐々に身寄りの連絡で解消するが、依然、相当数に

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