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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 前末正平さん―黒い雨 橋の下に逃げた

前末正平(まえすえ・しょうへい)さん(76)=広島市佐伯区

大勢の負傷者。幼すぎて何もできなかった

 広島市己斐町(現西区、爆心地から約2・5キロ)の自宅で被爆した前末正平さん。国民学校2年で8歳でした。警防団だった父正行さんに付いて己斐駅(現西区)や堺町(現中区)へ行った光景が忘れられません。「幼すぎて何もできなかった。原爆が非人道的であるのは間違(まちが)いない。武力戦争に反対する」。きっぱりと言います。

 あの時、家族4人と自宅にいました。父は経営する堺町の薬局へ出勤する準備中、4歳上の次姉(じし)は体調が悪くて学徒動員を休んでいました。7歳上の長姉(ちょうし)は、学徒動員で宮島方面に向かう電車に乗(の)り遅(おく)れて家に戻(もど)ってきたところで、母満枝さんと前末さんが玄関(げんかん)に出て、長姉と話していた時でした。

 家の中全体が明るくなるほどピカーっと光るとともに、ドーンとすごい揺(ゆ)れに襲(おそ)われました。家の窓ガラスは全て割れ、土壁が崩(くず)れました。家が傾(かたむ)いて扉が開かない中、5人とも外に出てしばらくすると、雨が降り始めました。半袖(はんそで)、半ズボン姿だった前末さんのシャツは真っ黒になり、家の前を流れていた八幡川の橋の下で雨宿りしました。

 「己斐駅付近に負傷者がたくさん避難(ひなん)している」と聞き、雨がやみ終わらないうちに、父と一緒に行きました。目にしたのは、服か皮膚(ひふ)か区別がつかない状態で垂れ下がったり、頭が割れたりした人々。駅に着いてほっとしたのか、動けなくなった人も大勢いました。自宅から布や赤チン、油を持ち出して手当てする父の姿が印象に残っています。

 堺町は、6日は火災で入れず、7日に行きました。薬局はなくなっていました。陳列(ちんれつ)台のガラスがあめのように溶(と)けて転がっていた場所が薬局だと見当を付け、地下室を見つけて、薬を掘(ほ)り出し供出(きょうしゅつ)しました。店の近くに住んでいた父の伯母(おば)2人は見つかりませんでした。

 戦後は、ほかの子どもたちと自宅そばの大通りを走る占領軍の車を止めてはガムやチョコレートを求めていました。「カウボーイハットのオーストラリア兵はけちだから、米兵に行こう、と。原爆を落とした、と言う人はいなかった」と振(ふ)り返(かえ)ります。

 1967年に結婚。翌年に長女が無事に生まれたのを確認し、妻順子さんに被爆者であると打ち明けました。「知ってました、と言われたよ」

 原爆を語り継ぐ必要性を考えるようになったのは、この1、2年です。「広島師団史」という明治時代から終戦までの広島での軍隊の歴史が書かれた本がきっかけでした。「原爆で軍人だった親族を失った方たちに、所属部隊などからどこで何をしていたのか説明できるようになりたい」と話します。(二井理江)



◆学ぼうヒロシマ

己斐駅

駅舎の大部分が倒壊

 戦時中、広島市西区のJR西広島駅は己斐駅、広電西広島は西広島駅や己斐と呼ばれていました。いずれも爆心地から2・4キロあたりにありました。

 広島原爆戦災誌によると、原爆による爆風(ばくふう)で、国鉄(当時)の己斐駅の駅舎は大部分が倒壊(とうかい)。事務室にいた駅員20~30人は倒(たお)れた建物から線路にはい出しました。火災も、被爆後に大量に降った黒い雨のため最小限に食い止められました。客は、午前8時前の上りと下りの列車が出たすぐ後だったので少なかったそうです。

 被爆後は、数千人が市の中心部から逃げて来ました。駅周辺で息絶えた人も多くいたため、駅近くにあった防空壕(ぼうくうごう)に枕木(まくらぎ)を入れて焼きました。

 国鉄の山陽線は8日に復旧。広電の宮島線は、6日は西広島駅―草津駅間が不通となり、草津駅―宮島駅間の運行でしたが、7日に復旧し、多くの被爆者を運びました。市内線は9日に己斐―西天満(現天満町)間で運転を再開しました。

◆私たち10代の感想

思いやり どんな時も

 自宅が壊(こわ)れるなど前末さん自身も大変なのに、逃(に)げて来た人に水をあげようとした時、父にとめられたそうです。何もできなくて、悔(くや)しさに近い思いだったのではないでしょうか。私も前末さんのように、どんな状況(じょうきょう)であっても、人への思いやりが持てるようになりたいです。(中1・岡田実優)

他人を支える大人に

 「一人で生きてきたんじゃない」。前末さんの言葉が印象に残りました。被爆直後から県内外の軍人や看護師ら多くの人が助けに来てくれました。終戦後は米国からも支援(しえん)物資が届いたそうです。

 私も、他人に支えられて生きていることを心に留め、同じように人に手を差(さ)し伸(の)べられる大人になりたいです。(中3・二井谷栞)

(2014年3月24日朝刊掲載)

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