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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 第2部 浜通りの50人 <1> 翻弄された村

■記者 下久保聖司、山本洋子

政府発表信じ行動誤る

 福島第1原発事故から3カ月が過ぎた。当初「原子炉は健全な状態」「放射線量も心配ない」と繰り返してきた政府や東京電力。これらの発言は今、ことごとく翻されている。住民に事故はどう伝わったのか。情報発信にどんな問題があるのか。原発事故の被害が大きい福島県東部の「浜通り」地域の50人の証言にみる。

 例年なら、田に張った水が空を映す初夏。しかし福島県飯舘(いいたて)村の田は雑草が覆い、目に見えない放射性物質がはびこる。避難指示が出された今、人影はない。

 福島第1原発事故の影響をめぐり、人口約6200人の村は情報に翻弄(ほんろう)された。「あの政府発表は、何だったのか」。村にとどまる農家の佐藤忠義さん(67)は憤りをあらわにする。

 事故直後の官房長官の記者会見。「原発はコントロールできています」。3カ月が過ぎた今、あの状態を「安全だった」とは誰も言わない。原子炉は早い段階で、メルトスルー(溶融貫通)という危険に陥っていた。それが明らかになったのは事故から2カ月以上が過ぎてからだ。

孫4人を屋外に

 村役場があるのは、原発の北西約40キロ。そんなに離れているのに放射性物質は風に運ばれ、局所的な高濃度汚染地帯、通称「ホットスポット」が多数できていた。国の発表を信じ、そうとは知らない村人たち。佐藤さんも事故後しばらく、10歳未満の孫4人を屋外で遊ばせた。「将来何かでたら…」。悔やみきれない思いが残る。

 風向きや降雨に影響されるホットスポット。広島の原爆投下後の「黒い雨」やチェルノブイリ原発事故(1986年)の研究で明らかにされていた。そして事故後間もなく、村に入った広島の被爆2世、京都大原子炉実験所の今中哲二助教(原子炉工学)は「一部地域の放射性物質の蓄積量は、チェルノブイリの強制移住基準を上回る」との調査結果を発表した。

 政府も、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)で情報はつかんでいた。しかし、公表は事故から約1カ月半後。「社会にパニックが起こるのを懸念した」という。

炊き出し悔いる

 「すぐに村ごと避難すべきだった。なぜ、情報を隠蔽(いんぺい)したのか」。村の酪農家、長谷川義宗さん(32)は政府の考えにあきれる。自分たちの命や健康が国によって軽んじられたとすら感じる。

 国際原子力機関(IAEA)は3月末、村の土壌汚染が避難基準を上回ったと公表。しかしこのときも原子力安全・保安院は原発からの同心円の距離にこだわり「測定方法が違う。必要ない」と説明した。

 村婦人会長の佐藤美喜子さん(60)。事故翌日の3月12日から南相馬市や浪江町から避難してきた約千人に、村婦人会は18日まで炊き出しをした。まだ雪がちらつくころ。屋外でホットミルクを振る舞った。

 チェルノブイリ原発事故で、放射性ヨウ素に汚染された牛乳を飲んだ子どもの多くが甲状腺がんにかかったと後に知った。福島県産牛乳の出荷制限は、3月21日からだった。「もっと早く、危険を知らせてくれていれば」。心に刺さって抜けないとげになっている。

(2011年6月16日朝刊掲載)

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