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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 第2部 浜通りの50人 <2> 自治体の不満

■記者 下久保聖司、河野揚

滞る情報 住民と板挟み

 「これって今か、録画か」。福島県広野町の町職員小松和真さん(42)はテレビの前で思わず叫んだ。福島第1原発の1号機建屋が爆発した3月12日。午後4時ごろのニュースが約30分前の映像を伝えていた。

テレビ見て知る

 町は原発の南約20キロ。その時、福祉担当の小松さんは町内の避難所にいた。津波被災者に炊き出しをし、一息入れようとテレビをつけた。

 安全だったはずの原発から上がる白煙。誰もがただ事ではないと感じる映像だった。「しかし…」と小松さんは今、言う。「まずは事実を速やかに公表することが大事でしょう。町民を守るべき町がテレビで30分前に爆発が起きていたことを知るとは」

 原発が立地する大熊町。12日午前5時44分に政府が同町に出した避難指示の情報を渡辺利綱町長(63)が聞いたのは政府からではなかった。「町長、避難指示出るよ」。発令の数十分前、町役場に詰めていた警察署員がつぶやいたのだ。「えっ、国からも県からも何の連絡もないのに」。どう対処するべきか戸惑ったという。

 震災当初から町にはまったく事故情報が入ってこなかった。福島県地域防災計画では原発から約5キロの現地指揮所「オフサイトセンター」に国や自治体などが集まり、情報提供をするなど被害の拡大防止を図るはずだったが震災で非常用電源を喪失し、使えなかったというのもある。

 事故から3カ月。渡辺町長は「今もテレビが唯一の情報源。そんな話がありますか」と憤る。

 かつて福島第1原発でのトラブル隠しが何度も発覚し、そのたびに町と町議会は東京電力に対し、原発トラブルの早急な情報開示を要請してきた。しかし、今回の大事故でも重要な情報はもたらされなかった。

苦情対応に忙殺

 「原発のおかげで町の雇用が潤った。専門知識のないわれわれは東電の説明を信じるだけだった」。町議会元原発安全対策特別委員長の渡辺信行さん(58)の口から、反省が漏れる。

 政府からは仮設住宅や補償の情報提供もいまだに少なく、町の混乱は続く。会津若松市の分庁舎を借りた臨時町役場には、避難した町民が毎日のように押し寄せている。「いつになったら大熊に帰られるんだ」。元町職員の尾内武さん(62)はさまざまな業務に忙殺される町職員の代わりにと、そんな避難者の苦情を聞いたり、相談に乗ったりしている。

 「着の身着のまま逃げてきたんだから当然ですよ。大熊には帰られるのか、帰られないのか。政府は早くはっきりしてほしい」。そう訴える。

(2011年6月17日朝刊掲載)

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