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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 第4部 ヒバクシャを診る <2> 内部被曝

■記者 下久保聖司

住民に寄り添い調査

 「3月11日から25日までの行動について記入して下さい」―。福島県は8月から、約200万人の全県民に問診票を配る。屋内と屋外にいた時間を24時間の目盛りが付いた表に記入してもらう。福島第1原発事故後の行動記録から個人の被曝(ひばく)線量を推定するのが狙いだ。ただ住民は5カ月前の記憶をたどることになる。

独自に現地入り

 事故の1カ月半後、独自に現地入りしたヒロシマの医師がいた。鎌田七男・広島大名誉教授(74)。「時間がたつと住民の記憶は風化する。放射性物質も検出が難しくなる。被曝の証拠を残さねばならないと思ったから」

 広島大原爆放射能医学研究所(現・原爆放射線医科学研究所)に1962年に入り、被爆者の染色体異常について研究を重ねた。チェルノブイリ原発事故(86年)後の住民調査にも携わる。97年から2年間は原医研所長を務めた。福島で何をすべきか、分かっていた。

 呼吸や放射能汚染された食物を通じて体内に取り込まれた放射性物質は、便や尿などで徐々に排出される。「内部被曝の証拠となるのは尿」。5月5日に福島県飯舘村と川俣町山木屋地区で計15人分を採取、分析した。

 その結果全員の尿からセシウムを検出した。ただ「ごく微量」。今後50年間放射線を出したとしても、内部被曝量は0・1ミリシーベルト以下に収まるという。

 5月29日に全員に分析結果を説明。合わせて行動記録を聞いた。そこから外部被曝線量も推定。最高は13・5ミリシーベルトだった。

 鎌田医師は外部被曝線量について「避難をした方がいい数字」と指摘。一方で、内部被曝については評価を避ける。「とても難しい問題。広島の研究では内部被曝は見過ごされてきた」。それはヒロシマの医師として、自戒を込めた言葉でもある。

「丁寧な対応を」

 鎌田医師がその実態に気付いたのは2007年。広島で被爆し、三つのがんを患った女性について論文をまとめたのがきっかけだ。  爆心地から4キロ離れた西区高須の自宅で出産後まもなく被爆。2週間後に避難するまで、残留放射線を浴びた。染色体異常率などから「被爆線量は爆心地から1・5キロ地点での直接被爆に匹敵する」と推定。「内部被曝の影響は無視できない」。強く思った。  これから本格化する福島県の県民健康管理調査。地元では喜ぶ声の半面、「研究のためのデータ収集にすぎない」「万が一の際の治療の話がない」などの不満もくすぶる。

 「調査対象者には、丁寧な対応が必要」と鎌田医師。現在も続ける被爆者調査では、協力者に毎年年賀状を送り、健診のたびに一緒に記念撮影をしている。

 「放射線の影響はすぐには出ない。不安を抱える人たちの心に、医師は寄り添わねばならない」。ヒロシマを半世紀見つめてきた医師からの提言だ。

(2011年7月27日朝刊掲載)

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