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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 第5部 今やるべきこと <3> 

広島大平和科学研究センター 川野徳幸准教授

1万人の証言を残す

 広島、長崎の被爆者証言は反核平和の訴えに重みを持たせている。同じように、福島第1原発事故でも避難区域を中心に、1万人の声を集めるべきだ。国民が今後、原発の是非を考える際、重要な判断材料となる。

「点」掘り下げを

 国や福島県は今後、原発事故の住民生活への影響を調べるだろう。しかしそれでは、平均値を映す全体の傾向しか分からない。いわば「面」の調査だ。同時に、個人という「点」を掘り下げ、定点観測を続ける必要がある。

 原発事故の避難者は約10万人。その1割のデータが集まれば、原発が何をもたらし、事故が何を奪い去ったのか見えてくる。聞き取りは、大学の研究者や記者たちが取り組み、結果的に1万人という規模に達すればいい。真実が深みを帯びて浮かび上がるだろう。

 原発20キロ圏の警戒区域や、全村避難の飯舘村は過酷な状況だ。住む家を追われ、職を失い、再び古里に戻れない恐れもある。

 ポイントは、事故が起きた「3・11」の前も聞くこと。前後で生活がどのように変わり、原発に対する考えはどう変化したかを聞くべきだ。確かに原子力エネルギーはさまざまな恩恵をもたらした。一方で、甚大な厄災も与える恐れも秘めている。実際にそれを体験した人の変化を残すことは非常に重い。

光と影浮き彫り

 福島と同じように大勢の避難者を出したのが、チェルノブイリ原発事故(1986年)だった。広島大や京都大の研究者仲間と一昨年から1年をかけ、原発近くの元住民10人に聞き取り調査をした。

 この時も、事故の前と後を聞いた。「原発関連の仕事があり、豊かな活気のある町だった」。みんな昔を懐かしむ。今の暮らしを尋ねると、被曝(ひばく)による健康不安を抱え、差別や偏見に悩む人もいた。原子力の平和利用が持つ光と影を見た。

 広島の被爆者の聞き取り調査で先駆者だったのは、一橋大教授だった石田忠氏(今年1月に94歳で死去)。1966~73年、12人と面談を重ねた。被爆前後の暮らしの変化を丁寧に追い、被爆の実態を浮き彫りにしたと後に評価された。

 福島の原発事故は収束の見通しが立たない。一回限りの聞き取りではなく、長いスパンで証言を積み重ねていくべきだ。(下久保聖司)

かわの・のりゆき
 1966年、鹿児島県生まれ。広島大大学院医歯薬学総合研究科博士課程修了。同大原爆放射線医科学研究所助教などを経て2009年から現職。専門は原爆・被ばく研究。広島市西区在住。

(2011年8月30日朝刊掲載)

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