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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 風評被害 無情の秋

 福島第1原発事故による「風評被害」が後を絶たない。いつもなら心躍る実りの秋。今年、フクシマは不安を抱えて迎えた。福島県産の花火までもが県外で打ち上げを拒否された。「放射能がうつる」。避難住民は偏見や中傷に心を痛める。ヒロシマもかつて同じ経験をした。放射線量の基準をクリアした食品は食べても問題はないのか。何に気をつければいいのか―。「風評」を探る。(下久保聖司、山本洋子、衣川圭、河野揚)


≪農作物≫ 納入拒否・暴落に悲鳴

 畑に穴を掘り、ジュース加工用のモモを捨てた。「胸が裂かれる思い」と、福島県伊達市の佐藤勇男さん(62)。市内産のモモは、国の暫定基準値をクリアした。しかし、飲料会社の申し入れで、納入は停止された。

 福島県は山梨県に次ぐ全国2位のモモ産地。原発の北西約50キロの伊達市はとりわけ栽培が盛んだ。事故後、贈答品用の卸売価格は5分の1程度に下落。JAなどでつくる「賠償対策福島県協議会」は7、8月の風評被害額を約23億円と推定する。

 佐藤さんは約1.4ヘクタールの農地で米や野菜、果物を栽培している。秋の稲刈りに続き、冬には特産の干し柿を作る。「福島の農産物のイメージ回復には、長い時間がかかる。このままでは、福島で農業をする人はいなくなってしまうのではないか」

 風評被害について、東京電力は9月下旬に賠償基準を公表。鼓紀男副社長は「被害がある限り賠償していく」と強調した。しかし、何をもって被害終結とするかについて具体的な考えは示さなかった。

法人や事業者に対する東京電力の損害賠償基準
 避難指示区域の農漁業や製造業は、原則として減収分を賠償。農作物の風評被害は福島、茨城、栃木、群馬、千葉、埼玉の6県が対象で、全国平均価格を考慮し賠償額を決める。

 福島県の避難区域外と茨城、栃木、群馬県の観光業の風評被害は、仮に原発事故がなくても地震や津波で20%の売り上げ減があったとして、その分を差し引く。東電は10月中に支払いを始め、3カ月ごとにする。


≪花火問題≫ ものづくりに危機感

 怒りで唇が震えていた。「こんな偏見が続けば、福島県のものづくりは死んでしまう」。川俣町で花火製造会社を営む菅野忠夫さん(78)。愛知県日進市で9月18日にあった花火大会で、同社が作った花火80発は打ち上げを拒否された。

 「放射能をまき散らす恐れがある」。市や商工会でつくる実行委員会に、電子メールや電話が20件以上寄せられ、愛知県産の花火に差し替えられた。

 市は後日、花火をサンプリング検査。2発から1キロ当たり約50ベクレルの放射性セシウムを検出した。穀物や野菜の暫定基準値(1キロ当たり500ベクレル)を大きく下回るため、市は「安全性が確認できた。今後打ち上げを計画する」という。

 問題は、福島だけにとどまらない。京都で8月にあった伝統行事「五山の送り火」では、岩手県陸前高田市のまきを燃やす計画が中止になった。外国の美術展の日本開催がキャンセルになった例などもある。

 何を基準に、安全と危険の線引きをすればいいのか―。名古屋大の山沢弘実教授(環境放射能学)は日進市の花火問題を例に「身の回りに普通に存在する放射能と比較すればいい」と提案する。

 50ベクレルの花火が爆発し、1辺10メートルの立方体空間に広がると仮定すると、1立方メートル当たりの放射線量は0.05ベクレルになる。自然界には通常、放射性物質のラドンなどが1立方メートル当たり約10ベクレル存在している。山沢教授は「科学的に考えれば、問題のない数値だと分かる。冷静に対応すべきだ」と訴える。


食の安全基準 疑問の声

厚労省 厳格化へ見直し方針

 米や野菜などの食品は国が定めた放射線量の暫定基準値をクリアしなければ出荷できない。ホウレンソウやタケノコ、茶葉、小麦…。基準を超える検出が相次ぎ「食の安全は守られるのか」と国内に不安は広がった。一方、基準値そのものについて疑問の声もある。厚生労働省は近く、見直しを本格化する方針だ。

 国が暫定基準値を定めたのは、原発事故6日後の3月17日。算出方法はこうだ。

 まず食品全体からの被曝(ひばく)量がセシウムは年間5ミリシーベルト以内、ヨウ素は年間2ミリシーベルト以内と設定した。それまで放射線量の基準値はなかったため、原子力安全委員会の「防災指針」にある緊急時の摂取制限の指標が基となった。

 セシウムの場合、基準の5ミリシーベルトを(1)飲料水(2)牛乳・乳製品(3)野菜類(4)穀類(5)肉・卵・魚・その他―の5項目に配分。それぞれ上限が1ミリシーベルトとなるように、平均食事量などから逆算し、1キロ当たり飲料水や牛乳・乳製品は200ベクレル、肉や野菜、穀類500ベクレル―などとはじき出した。

 ただこれはあくまで「緊急時」の数値。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故から25年が過ぎたウクライナでは今、パンの基準値はセシウムで1キロ当たり20ベクレルだ。日本の穀類と比べると25分の1という厳しさになっている。原子力安全委なども「緊急時の規制をいつまでも続けるべきではない」と指摘する。

 厚労省の見直し作業で参考となるのは、食品安全委員会が7月に示した「生涯累計で被曝を100ミリシーベルトまでに抑える」との見解。規制の厳格化を促す。食品の国際基準を策定する政府間組織コーデックス委員会などに倣い、乳幼児向けの基準が新設される可能性が高い。

 このため見直し後、基準値を超える産地が相次ぐ可能性もある。ただ放射線影響に関する国内外の文献を調べた食品安全委も「内部被曝のデータが極めて少なく、評価に十分ではない」(小泉直子委員長)と明かす。見直しで「明確な安全基準」が打ち出せるかは不透明な情勢だ。


食の放射能汚染 どう向き合う

前食品総合研究所所長・林徹氏に聞く

 国民はいかに食の放射能汚染と向き合うべきか。食品に放射線を照射するなどして研究を続けてきた前食品総合研究所所長の林徹・聖徳大教授に、注意点や課題を聞いた。

 ―食を通じてどの程度健康被害があると考えますか。
 現在の知見では、1ミリシーベルトの被曝で発がん率は0.005%上昇するとされる。

 事故後、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告などを参考に、致死がんの発症確率を独自に計算してみた。1キロ当たり500ベクレル汚染された食品を毎日2キロずつ1年間摂取した場合、確率は0.024%増える。この仮定は現実的ではないが、どうみるかは個人の価値観による。

 ―対処法は。
 原子力環境整備センターによると、食品を水で洗ったり、煮沸したりすれば90~10%汚染を除去できるという。大事なのは、国が検査を信頼される形で実施し、国民はどこまでリスクを受け入れるか判断することだ。

 放射能をほとんど意識せずに暮らしてきた国民は今、混乱している。正しい知識を身に付け、リスクを判断し、行動する必要がある。

 ―注意するべき点は何でしょう。
 低線量被曝の人体への影響は今も判明してはいない。ICRP基準に対する異論もある。放射線の感受性が高い乳幼児は「できる限り被曝量を減らす」という努力が必要だろう。

 放射線は遺伝子を傷つける。ただ、直接影響よりも、周囲に生じさせた活性酸素などがDNAを傷つける「間接効果」の割合が多いとされる。活性酸素を減らす生活も大事な防護策だ。

 つまり被曝を気にするあまり、野菜の摂取が減ったり、ストレスで免疫力を落としたりすれば本末転倒になる。放射能と向き合って生きるため、勉強も必要だ。例えば「ベクレル」や「シーベルト」の単位が何を表すのかなど基礎知識がないと情報を理解できない。国も迅速で分かりやすい情報提供をする責任がある。

はやし・とおる
 1950年京都市生まれ。京都大農学部卒。食品総合研究所放射線利用研究室研究員などを経て2006年、農業・食品産業技術総合研究機構食品総合研究所所長に就任。昨春から聖徳大(千葉県松戸市)教授。


≪後絶たぬ偏見・中傷≫ 

いじめ・落書き…被災者傷心

 「放射能をうつす」などと発言し、鉢呂吉雄経済産業相が引責辞任―。9月10日、ニュースを聞いた時、南相馬市の介護士塙(はなわ)龍太郎さん(33)は憤りを感じた。自分も嫌な体験をしたからだ。

 3月中旬、妻の実家がある山梨県に避難途中、コンビニエンスストアに寄った。店を出ると、福島ナンバーの自分の車を地元の子ども数人が囲んでいた。「放射能が来た」「触るとヤバイぞ」。子どもの悪ふざけとはいえ、ショックを受けた。

 旅館の予約キャンセル、いじめ、落書き…。こんな報告や相談が多数、福島県災害対策本部に寄せられている。「被災者の気持ちになって考えてほしい」と塙さんは願う。

 「偏見や中傷をなくす活動を、学校から始めるべきだ」。教員や研究者ら約1700人が所属する日本環境教育学会(会長・阿部治立教大教授)は、道徳の授業案をつくった。

 被災者のいじめについて、新聞記事などを使って考える。実際に授業をした千葉・小金中(松戸市)の高城英子教諭(58)は「大切なのは困っている人に寄り添う気持ち。教え、諭すのではなく、みんなで考えていきたい」と話す。

正確な情報 伝わっていない

 被爆者が体験した偏見や中傷について調べてきた広島大大学院総合科学研究科の布川弘教授(日本近現代史)に、福島で繰り返されている問題の背景などを聞いた。

 原爆放射線については戦後間もない時期、健康影響が詳しく分からず、過度に恐れられた。一方の福島。真偽が定かでない情報があふれ、専門家が言う安全基準もばらばら。共通しているのは正確な情報が伝わっていないことだ。

 大災害でパニック状態になると、根拠のない作り話が生まれることが多い。今は国民がどう対応すればいいのか冷静に判断できなくなっている。

 国のリーダーは、国民全体でリスクを背負ってほしいというメッセージを発信するべきだ。丁寧に説明して理解を得られれば、一人一人が福島を支えようという動きにつながるだろう。そうすれば偏見はなくなるし、復興のスピードも速まる。(談)

被爆者も体験「力になりたい」

 「福島の人が気の毒で仕方ない」。広島市安佐南区で暮らす市原爆被害者の会会長の片山春子さん(81)はそうつぶやく。

 66年前、爆心地から1.8キロの南区で被爆した。「被爆は遺伝する」。そんなうわさで、お見合いを3度断られた。その後結婚し一人娘をもうけた。娘は今、40代。健康という。

 被爆者の追跡調査をしている放射線影響研究所(南区)は2007年、親の被爆が子どもの生活習慣病の発症に与える影響について「リスクの増加を示す証拠は見られない」とする調査結果を発表した。「あのうわさには、今も憤りを感じる」

 広島県被団協(坪井直理事長)は2006年、被爆者約7400人にアンケート。「被爆者は短命という風評に悩んだ」という人が29%、「結婚時に支障を感じた」人も28%いた。

 被爆地は、どんな対策をしてきたのか―。広島市内の小中学校の約8割は毎年、被爆体験を聴く会を開く。原爆資料館(中区)にも全児童生徒が1度は訪れる。市教委は「平和教育が、人権や道徳の学習にもつながっている」とみる。市は被爆者の悩み相談に応じるため、1973年から市役所などに相談員を配置している。

 郡山市から広島市西区に避難している主婦井上真理恵さん(37)は「広島では福島の子どもへのいじめもなくほっとしている」という。長男泰一君(7)は西区の小学校に毎日楽しそうに通っている。

 もう一つの広島県被団協(金子一士理事長)の佐久間邦彦副理事長(66)は被爆者の相談員を務めて5年半になる。この間、被爆者への差別や偏見の根深さを実感してきた。

 そして今、福島の避難者約10人の悩みを聞き、自らの被爆体験を語っている。「私たちも福島と同じ苦しみを経験した。だからこそ力になってあげたい」


【福島第1原発事故による主な風評被害や偏見など】

3月11日 東日本大震災による福島第1原発事故
   13日 体の表面の放射線量を測るスクリーニング検査開始。
       後に、検査証明書がない人が避難所入所を断られる問題が起きた
   16日 フランス政府が日本への美術品輸送停止を通達。広島県立美術館の「印象派の誕生」展などが中止に
       なる
   19日 福島県の避難者の宿泊を拒否しないよう、厚生労働省が旅館やホテルに依頼
4月 8日 福島県災害対策本部会議で風評被害の事例報告。
       ガソリンスタンドに「福島県民お断り」との貼り紙があったケースなど
   14日 千葉県船橋市に避難した子どもが「放射線がうつる」と言われ、いじめられたとの電話が市教委にあった
       ことが判明
   19日 茨城県つくば市が福島県からの転入者にスクリーニング証明書を求めていたことが発覚。
       市長が「誤解を与えた」と謝罪
   28日 文部科学省原子力損害賠償紛争審査会が第1次指針をまとめる。
       農水産物の風評被害や避難生活の精神的苦痛も対象とする
5月 4日 日中韓の財務相会議で、農産物の輸入規制を強める中国と韓国に対し風評被害の防止を要請
    6日 水産庁は海洋汚染調査で、東日本沖の魚介類の広域的モニタリングを始めると発表
   31日 原子力損害賠償紛争審査会が第2次指針決定。
       4月までに出荷制限や出荷自粛要請を受けた地域で風評被害を認めた
6月15日 茨城沿岸地区漁協連合会が、4月の休漁分や風評被害による価格下落など約10億円の賠償を東京電
       力に請求
   20日 広島県が、福島県産の加工食品の放射性物質の安全検査を代行すると発表
7月 4日 福島市観光農園協会は風評被害でモモの売り上げが減ったとして、穴埋めの大量購入を経済産業省と
       東京電力に要求
   19日 放射性セシウムを含むわらが肉牛に餌で与えられていた問題で、政府は福島県全域の肉牛の出荷を
       すべて停止するよう指示
8月 4日 東海テレビ放送が番組で、岩手県産米プレゼントの当選者を「怪しいお米 セシウムさん」などとした
       テロップを表示
   12日 岩手県陸前高田市のまきから放射性セシウムが検出されたとして、京都市は「五山の送り火」での使用
       を断念▽福島県内の農林漁業者が迅速な損害賠償を求める総決起大会を東京で開催
9月 6日 大阪のテレビ番組で岩手県一関市を挙げて「東北の野菜や牛肉を食べたら健康を壊す」などと発言した
       中部大の武田邦彦教授に対し、一関市長が抗議
    7日 福岡市内で予定された産直店「ふくしま応援ショップ」に対し、反対の電話やメールが寄せられ、出店取り
       やめ
   10日 鉢呂吉雄・経済産業相が「死の町」「放射能をうつす」という趣旨の発言の責任をとって就任9日目で辞任
   18日 愛知県日進市の花火大会で、福島県川俣町で製造された花火の打ち上げが中止となる

(2011年10月4日朝刊掲載)

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