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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 事故25年 終わらぬ被曝

 福島第1原発事故の国際的な事故評価尺度(INES)はレベル7。これまで「最悪」だった1986年のチェルノブイリ原発事故と並んだ。旧ソ連(現ウクライナ)で起きたその事故から四半世紀。9月下旬から10月にかけて最大の汚染国となった隣国ベラルーシを訪れた。今なお住民に被曝(ひばく)の健康不安は続き、汚染された大地は住民の帰郷を阻んでいた。「フクシマの25年後」が同じ轍(てつ)を踏まないよう、この教訓を今にどう生かすのか。そう考えながら現地を歩いた。(河野揚)

」 チェルノブイリ 最大の汚染国ベラルーシ  100頭ほどの乳牛の群れが、のどかに草をはんでいた。ウクライナに隣接するベラルーシのゴメリ州。チェルノブイリ原発の北東約150キロに位置する。ここでとれる牛乳は今も、放射能汚染の検査対象だ。

 風に乗って運ばれた放射性物質。ベラルーシの国土の約4分の1に降り注いだ。旧ソ連は、ゴメリ州域の半分以上にセシウム137が1平方メートル当たり3万7千ベクレルを超えて蓄積したと推計した。年間被曝量は0・5ミリシーベルト以上となる計算。セシウムの物理的半減期(半分が放射能を失うまでの時間)は約30年だ。

 もちろんベラルーシでも食品が流通するには、政府の定めた細かい基準をクリアしなければならない。しかし、市民の体内から放射性物質が検出される例は少なくない。自給自足する人が多いのに加え、政府の検査自体が「いいかげんだから」とみる市民もいる。

 「いつまで放射線におびえた生活が続くの」。州都ゴメリ市の主婦タチアナ・キスレノクさん(35)はため息をつく。6歳の一人息子の被曝が心配で、外出時には放射線測定器を手放さないという。

 原発周辺の30キロ圏内は今も立ち入り禁止だ。約11万6千人の元住民の帰郷もかなわない。原発周辺の取材には、政府の許可証が必要だ。「無断で行くと、逮捕されるぞ」。取材車のドライバー男性は言い放った。

 食品検査、わが子の健康を心配して放射線測定器に頼る母、原発周辺の立ち入り規制…。どれも今の福島の光景と重なる。

 「私の古里で、まさか同じ悲劇が繰り返されるなんてね…」。福島県いわき市出身の在ベラルーシ大使館の松崎潔臨時代理大使(60)はつぶやく。「福島はここから学べることがたくさんあるはず。いや学ばなければならない」

 放射性ヨウ素は、喉辺りにある甲状腺に蓄積される。国連科学委員会の報告書によると、チェルノブイリ原発事故では、子どもを中心に6千人以上が、がんを発症した。

 やはりゴメリ市に住む会社員エレーナ・ノビコワさん(34)も16歳の時に、がんのため甲状腺を摘出した。事故7年後だった。「同じ原発被災者として、福島の子どもが心配でたまらない」。8千キロ離れた地を思いやる。

 取材活動で通訳をしてくれたバレーリア・セコウチクさん(26)は2006年から4年間、広島大に留学した。生まれ育ったのは放射能汚染が大きかったブレスト州。「被爆地に昔から関心があったから」。留学中は、原爆資料館(広島市中区)に5回訪れたという。  今春、ホールボディーカウンター(全身測定装置)の検査を受けたところ、微量のセシウムが検出された。食品を通じて取り込んだ可能性が高いという。

 ベラルーシ国内のスーパーでラベルに「放射性物質の排出を促進する」と書かれた商品を目にした。買ってみると、中身はリンゴの香りがする茶褐色の粉末。セシウムの排出を促すというが、科学的な裏付けはないらしい。サプリメントの感覚で買う人がいるそうだ。

 「この国で今も放射性物質を食べ物と共に摂取しているのは残念ながら事実。リスクを覚悟して生きることも大切なの」。前向きを装うセコウチクさんの言葉が胸を突いた。


京都大原子炉実験所 今中助教に聞く

徹底除染 重要性教訓に

 約20年にわたってチェルノブイリ原発事故の現地調査をしてきた京都大原子炉実験所(大阪府熊取町)の今中哲二助教に、チェルノブイリから、何を学ぶべきかを聞いた。

 ―最も教訓とすべきことは何でしょう。
 ソ連政府は除染作業を途中であきらめた。だから避難区域は25年たった今も帰郷が実現していない。原発から西約70キロ離れた強制避難地域のウクライナ・ナロジチ村近くの森で昨年5月、放射線量を測ると毎時0・5マイクロシーベルトあった。自然放射線量の約10倍だ。

 福島で今最も必要なのは徹底的な線量測定と除染だ。家に早く戻りたいという避難者のために、避難指示区域では住宅1軒ずつの線量を測り、集落ごとの汚染地図をつくるべきだ。除染可能な場所から集中的に放射性物質を取り除いていけば、避難者の帰還がより早く実現できるはずだ。

 ―最近の現地調査の成果は。
 最近ベラルーシを訪れたのは、ウクライナと同じく昨年5月。研究者にホールボディーカウンターの測定結果を見せてもらった。汚染地域の子どものセシウム137のピーク時期が10、11月になっていた。夏休みにきのこやイチゴなどの「森の産物」を食べたからと聞いた。日本の輸入食品基準値くらいのレベルではあったが、内部被曝は依然として続いている。

 合わせて、年間の被曝線量がどのくらいになっているのかの推計値を聞いたところ「被曝線量を勝手に見積もることは政府から禁じられている」との答えだった。

 ―事故後、旧ソ連はどのように情報公開したのですか。
 ソ連政府は事故直後から放射線量の測定結果をまったく公表しなかった。今回の日本と同じといえる。事故から3年後、汚染地図がベラルーシの新聞で初めて明らかになり、広大な面積が汚染されていることが分かった。私も衝撃を受けた。

 ―今、チェルノブイリ原発周辺からの避難者にはどんな補償がされていますか。
 前回、ウクライナの首都キエフ市を訪ね、避難者の話を聞いた。彼らは政府から住宅を優先的に提供されただけでなく、食費や家賃、公共料金、子どもの給食費などの支援を受けていた。

 ウクライナは社会主義国ソ連の制度を受け継いだから補償は手厚い。だが、逆に避難者だけが優遇されるため、周囲からのねたみや偏見を感じている人もいた。その辺を福島でどうするべきか、難しさも感じる。

いまなか・てつじ
 1950年、広島市中区生まれ。大阪大工学部原子力工学科卒。東京工大大学院理工学研究科修士課程を修了し、76年から京都大原子炉実験所へ。専門は原子力工学。昨年11月に亡くなった母親は広島の被爆者だった。


 ≪チェルノブイリ原発事故≫ 
 原発1号炉の営業運転開始は1978年。86年4月26日、4号炉が制御不能となり、爆発炎上した。原子炉の設計上の欠陥や、運転員の規則違反が原因とされる。

 10日間にわたり放出された放射性物質の量は520万テラベクレル(テラは1兆)。汚染地域はロシア、ベラルーシ、ウクライナの3国で計14万5千平方キロ。軍隊や建設労働者たち60万~80万人が事故処理作業に当たった。被曝による死者を世界保健機関(WHO)は最大9千人とみている。強制避難を含めて移住した人は約40万人。今も約500万人が汚染地域で暮らす。

 放射性物質の拡散を防ぐため、原発はコンクリートの「石棺」で覆われている。老朽化が進み、鉄の覆いをかぶせる計画はあるが、資金難で遅れている。

 ≪チェルノブイリ原発事故被災者に対する主な補償制度≫ 
  広島大平和科学研究センターによると、ウクライナでは2年に1回、無料の健康診断を受けられ、幼稚園から小学4年までは給食費無料。1家族が普通の生活を送るには月4000グリブナ(約5万2千円)が必要とされる中、1人当たり月160グリブナ(約2100円)の食費援助がある。事故後はアパートに優先的に入居できた。家賃や公共料金の半額減免は打ち切りが取りざたされている。

 ベラルーシにも被災者救済の法律があり、仕事をあっせんし、夏季特別休暇も認めている。甲状腺障害の患者には平均月収の約4分の1に当たる50万ベラルーシルーブル(約5千円)を毎月給付している。

(2011年10月27日朝刊掲載)

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