×

3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 第6部 チェルノブイリから <4> 進む風化

被災者 補償縮小に憤り

 ウクライナの首都キエフ市。チェルノブイリ原発に隣接するプリピャチ市からの避難者がゼムリャキ(同郷者)という互助団体の事務所を置いている。

聞き取りを継続

 広島大平和科学研究センターの川野徳幸准教授(原爆・被ばく研究)が9月、ここを訪れた。2009年から、元プリピャチ市民の証言聞き取りを継続。これまで4回の調査で、33~73歳の男性4人、女性8人と面談した。

 世界を震撼(しんかん)させたチェルノブイリ原発事故。25年を経て「記憶は風化し、社会的関心も薄れつつある」。川野氏はそう痛感する。それは被災者への補償の減額などに象徴されている。

 ウクライナ政府はここ数年「財政難」を理由に関連予算を削ってきた。医薬品の無料支給は廃止になった。水道などの公共料金や家賃の半額減免も、打ち切りが取り沙汰されている。

 証言した33歳の女性によると、わずかばかりの食費援助も「最近は、しばしば遅配になる」。国の予算発表の時期になると、被災者たちは補償縮小に対する抗議デモを起こしているという。「でも、それが国会で取り上げられることはない」。68歳の男性はこぼした。

 福島第1原発の周辺住民と同じように、約5万人のプリピャチ市民も着の身着のままの避難だった。当時のソ連政府は、被災者にアパートへの優先入居を決めた。これが先約者のやっかみを買った。子どもへのいじめが起き、心ない中傷も投げかけられたという。

 そして今も望郷の念は募るばかりだ。65歳の女性は「事故で完全に人生が変わってしまった」と憤る一方で、できることならやはり古里に戻りたいと明かした。

 しかし人の住まなくなったプリピャチの街は荒廃が進み、時折訪れる見学者が残したごみが散らかっているという。「あれを見るとつらい」と35歳の男性は悔しそうな表情を見せた。

「きっと教訓に」

 「チェルノブイリの住民証言は、福島の教訓にきっとなる」と川野氏は断言する。福島ではいまだに原発事故が収束せず、住民の内部被曝(ひばく)も相次いで判明している。住民たちに25年後に今のウクライナの人々のような不安を感じさせないためにも、証言聞き取りは重要だと考えている。

 やはり話を聞いた甲状腺疾患のある48歳の男性。高血圧や糖尿病を抱えている。妻も甲状腺がんの手術を受けた。被曝との因果関係は定かではない。しかしすべての体調不良を「100%事故の影響」と信じている。(下久保聖司)

(2011年10月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ