×

3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 第7部 復興と現実 <3> 医療再構築

医師半減 診療に支障も

 福島県南相馬市に暮らしていた会社員大戸貴弘さん(45)は11月下旬、1日だけ南相馬に戻った。福島第1原発事故後、家族と一緒に、約95キロ西に離れた会津若松市で避難生活を続けている。帰ったのは5歳の長女に甲状腺検査を受けさせるためだ。

 いつまで今の生活を続けるか―。自分なりの目安がある。「同じように避難をしている医師たちが帰ってくる日まで」。放射線に関する知識のある医師が自分のこととして大丈夫と判断するまでだ。もちろん何かあった時に診てもらうためでもある。

看護師や技師も

 原発事故前、南相馬市内には八つの病院があった。うち二つは原発20キロ圏の警戒区域内で、立ち入り禁止が続く。現在機能しているのは6病院。市全体で54人いた常勤医はほぼ半数の28人になった。看護師や臨床検査技師も激減した。

 被災地復興の課題の一つは、医療体制の再構築だ。福島大が原発周辺の双葉郡8町村の全世帯にしたアンケートでも、約3割が課題として「福祉、医療施設の充実」を挙げた。

 医師たちはなぜ、南相馬を離れたのか。それにはいくつか理由がある。

 国は事故後間もなく、原発30キロ圏内の病院に、入院患者の避難を指示した。結果的に余剰人員となった医師たちは、市外に新しい勤め先を確保した。

 放射能への恐怖もある。南相馬市立総合病院は常勤医が半分の7人となった。金沢幸夫院長(58)は「辞めた医師の多くには、小さな子どもがいた。原発から遠ざかりたいという気持ちは分からないでもない」。入院受け入れ可能な病床数は震災前の230床から120床に減った。本格的な冬を迎え、重症の患者が増えると、受け入れられなくなる。

 厚生労働省は10月上旬、南相馬市内に医師や看護師の確保を目指す「支援センター」を開設した。現地病院の必要な人材を把握した上で、この地域の医師を安定的に確保する仕組みづくりを福島県立医科大(福島市)と目指す。

情報共有組織を

 福島県医師会の星北斗常任理事(47)は人づくりにも思いをはせる。「高度医療のハコモノ整備より、現在は、健康管理やがんの検診で県民の不安にどう応えるかが問われている。原爆被爆後の広島に県地域保健対策協議会ができたように地域医療をまとめ、医師が情報共有できる組織が必要だ」

 希望はある。医学生の中に、福島県での就職を敬遠する動きがある半面、地元の医療に貢献したいという思いも芽生えているのだ。

 県立医科大の学生たちは今、被曝(ひばく)線量を推定する問診票記入を手伝っている。4年遠藤翔太さん(23)は避難所の炊き出しボランティアにも参加した。「以前は福島を出たいとばかり思っていた。今は残って地元の役に立ちたいんです」(衣川圭)

(2011年12月8日朝刊掲載)

年別アーカイブ