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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 全ての英知を 真心の支援を

被災地に寄り添い続ける 被爆地に生きる者として

 10万人以上がこの正月を自宅で迎えられなかった。福島第1原発事故。目に見えない、そして人体にどんな影響を与えるのか解明できていない放射性物質は、今も福島県民を中心とした人々を苦しめる。全国からの支援は広がる。ヒロシマからも被爆者医療の経験を積んだ医師をはじめ科学者、ボランティア、警察官らが駆け付けた。フクシマに集まる善意。それを振り返るとともに、被爆地からの継続的な支援の課題を考える。(下久保聖司、河野揚)


広島の医師・専門家ら 講演・診察 不安拭う

 2011年11月下旬、福島市郊外の仮設住宅。「みなさんの健康を何が何でも守ります」。広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の神谷研二所長(61)は力を込めた。避難住民を対象に、健康調査を兼ねて講演を続けている。

 ヒロシマの経験に対する住民の期待は大きい。「不安軽減につなげたい一心で」。4月から既に県内約30カ所を回った。これまで約1万人が話に耳を傾けた。「子どもの健康に関する親の不安は想像以上だった」。そう振り返る。

 事故から一夜明けた3月12日、広島大は緊急被ばく対策委員会を設置。神谷氏は委員長に就き、医療班の陣頭指揮を執ってきた。同日中に医師ら7人を福島に派遣。11年末までに延べ約1100人を送り出した。自らは福島県立医科大の副学長も兼任。この間、福島と広島を50回以上往復した。

 原医研以外では、放射線影響研究所(広島市南区)が児玉和紀主席研究員(64)らを現地に派遣。県民約200万人を対象にした健康管理調査へのアドバイスを続けた。

 医師だけではない。物理学が専門の原医研の星正治教授(64)は事故直後に福島入りした。福島県飯舘村で線量を測定。その結果、放射線量が局所的に高い「ホットスポット」の存在が判明した。広島で原爆投下直後に降った黒い雨と同じだった。「すぐに住民を避難させるべきだ」。そう訴えた。また広島県内の医療機関などでつくる放射線被曝(ひばく)者医療国際協力推進協議会(HICARE=ハイケア)は事故5日後、放射線技師ら6人を派遣。避難住民の体や服に付いた放射性物質の量を調べるスクリーニング検査に当たらせた。

 間もなく事故後1年を迎えることになる。福島県立医科大の菊地臣一学長(65)は県民の健康を守るため、世界の英知を結集するべきだと訴える。それに呼応するかのように、神谷氏はいう。「フクシマに寄り添うことがヒロシマの使命だ」


広島大大学院・静間清教授 線量測り除去を指導

 民家の庭の一角に放射線測定器をあてた。福島第1原発から約25キロ北の福島県南相馬市。広島大大学院工学研究院の静間清教授(62)=原子核物理学=は民家や企業を回って局所的に放射線量が高い、隠れた「ホットスポット」を探している。

 南相馬市中心部では放射線量が毎時0.4マイクロシーベルトと比較的低い。しかし雨水がたまりやすい場所などに思わぬホットスポットがある。「住民の不安解消のため、身の回りの線量をきめ細かく測る必要がある」。市や国が調査している1キロ四方の線量マップでは不十分だと指摘する。

 静間氏の活動は、広島大が設置した福島の環境調査チームの一員としてだ。9月から南相馬市に3回入り、民家や農地、井戸水などの放射能汚染を調べ、住民にすべての調査結果を伝えてきた。

 原爆投下による残留放射能を調べ始めて27年。原爆ドーム(広島市中区)や元安橋(同)などに残るわずかな放射性物質を測ってきた。  原発事故後、その腕を頼って約50の検体が持ち込まれた。福島県民15人の尿、東京や広島の母親の母乳、福島県飯舘村の土壌…。「正確な数値が知りたいのが住民の心理」。一度も断らず、無料で測定に応じた。

 福島での調査で分かったのが、用水路の泥に放射性物質がたまっていることだ。泥に交じっていた草からはセシウムが1キロ当たり2万7千ベクレル検出された。周辺の土壌の約5倍。近くの住民に泥の除去をアドバイスした。

 福島では汚染土の仮置き場の設置が進まず、いまだに本格的な除染が進んでいない。「面的な除染より、まずは身の回りのホットスポットを優先して除染するべきだ」。12年も福島での身近なホットスポット探しは続く。


課題 経費補償見通せず■人材育成 連携急ぐ

 フクシマへの継続的な支援には、資金確保や人材育成などの課題が横たわる。

 広島大が福島第1原発事故後、医師や看護師ら延べ約1100人を派遣した経費は約6400万円。広島県は避難者の受け入れや医療チームの派遣などに1億400万円を投入した。県はさらに広島県内に避難している福島県民の内部被曝を調べるホールボディーカウンター(全身測定装置、WBC)検査の約100万円も負担している。

 これらの出費に対し、広島大財務・総務室は「国からは手当てされないので東京電力に請求する方針。全額が補償されるかどうかは分からないが」。県の負担分は災害救助法に基づいて大半を国が負担するという。

 人材育成の課題もある。例えば広島でWBC検査を担ったのは、広島大原医研の細井義夫教授(52)だけ。精密な測定には専門的なノウハウが必要だからという。また放射線測定で現地入りした原医研の星正治教授は12年3月末で定年退職する。次代の人材づくりは急務だ。

 広島大は12年4月、大学院生を対象に「放射線災害復興学」を開設。原発事故から人命や環境を守る専門家の育成に本腰を入れる考えだ。

 また広島大は現在、福島大と福島県立医科大に、医療や環境などの研究拠点を設ける方向で両大と協議している。支援継続には、現地の自治体や研究機関との連携組織も欠かせない。


団体・個人 気負わず実践

 NPO法人のピースビルダーズ(広島市中区)は延べ約20人を送った。担ったのは託児サービス。原発から30キロ圏内の福島県南相馬市の保育園7園が閉鎖したのを補った。元原発作業員たちでつくる福島原発勇志作業隊は延べ約100人が漁船や民家を除染した。

 個人でボランティアに取り組んだのは東広島市で接骨院を経営する安坂静登さん(68)。「長引く避難生活の疲れを癒やしてあげたいと思って」。肩や腰の痛みなどを訴えた約300人に鍼灸(しんきゅう)治療をした。

 生活物資を届ける動きも相次いだ。NPO法人など10団体で2011年3月に設立したボランデポひろしま(中区)は、着の身着のまま逃げた避難者のため、箸や茶わんなどを。広島修道大(安佐南区)の学生3人は12月、フットサルゴールなどを南相馬市の少年サッカークラブに届けた。

 広島市社会福祉協議会は9月から、ボランティア延べ95人を南相馬市に派遣。被爆2世の主婦中本公美さん(43)=東区=は手芸歴10年の経験を生かし、編み物の指導をした。「会話をしながら編み物をし、避難者同士が仲良くなった。被爆地はこれからも福島のことを忘れてはならない」。そう胸に刻む。


被爆体験 復興に使命感

「福島原発勇志作業隊」メンバー 岡本雅子さん=広島県熊野町

 福島県各地で放射能の除染作業に協力している広島の市民グループ「福島原発勇志作業隊」。メンバーの中に、被爆者の女性がいる。広島県熊野町の岡本雅子さん(71)。「フクシマの支援は、自分の使命だと思って」。10月に福島県南相馬市を訪れ、漁船の除染を手伝った。

 原発から約30キロ。岡本さんは、放射性物質のついた漁網や籠を船から撤去した。別の隊員たちが舟板をブラシで洗浄。作業後には線量が約4分の1に下がった。

 岡本さんはあの日、爆心地から4キロの広島市西区で被爆。「黒い雨」も浴び、甲状腺の病気に苦しんできた。優れない体調を押してまでなぜ、福島を訪ねるのか―。「ヒロシマは全国からの支援で立ち上がった。今こそ恩返しが必要」と語る。

 除染をした船を所有する佐藤公夫さん(61)から、漁業再開に「もう一度頑張ってみる」と聞いた。岡本さんは今後も活動を続ける予定だ。「被災者が元気を取り戻す姿を見たい」。そう願う。


検問や巡回■浴場を仮設■選挙で補助

広島の県警・陸自・自治体

 広島県警の支援部隊は震災当日に出発。31回にわたって978人を派遣し、原発20キロ圏内の警戒区域への立ち入り検問や防犯パトロールに当たった。

 県警機動隊の沼田芙美子巡査部長(31)と藤川詩織巡査(25)は、志願して福島入り。仮設住宅を巡回して施錠を呼び掛け、悩み相談にも応じた。県警警備課の山口英樹警視(49)は原発周辺地域で4回パトロールに当たり、年末年始も震災被災地で活動した。

 陸上自衛隊第13旅団(広島県海田町)は約550人を投入。行方不明者を捜索したり、避難者のために仮設浴場を造ったりした。

 広島県は、土木や建築関連など職員80人が福島に入った。斎藤厚子健康増進担当監(57)は、福島県の全県民対象の健康管理調査に加わり、記入方法の手引チラシを作った。広島市も115人の職員を派遣している。

 4月から11月に延期された福島県内の統一地方選。福山、尾道、東広島、呉、廿日市、三次の広島県内6市の選管は職員9人を派遣し、福島県浪江町の事務をサポートした。

 約2万1千人の全町民は、国の指示で町外に避難。集団避難が多い地域に当日投票所を4カ所置いた。福山市選管の卯本一成次長(57)は「無事に選挙が終わり良かった」と振り返る。


原発20キロ圏 緊張の任務 陸自化学防護隊 沢田憲男1曹
父の励ましを胸に捜索 普通科連隊 村田興嗣曹長

 陸上自衛隊第13旅団の化学防護隊。その隊員30人をしても、緊張を伴う任務だったという。「放射能を相手にするのは初めてだったから」。沢田憲男1曹(42)は原発20キロ圏内での活動を振り返った。

 防護服とマスクを着け、特殊車両に乗り込んだ。約3カ月にわたり、原発周辺のモニタリングや隊員の除染作業を続けた。

 福島県東部の沿岸部では、同旅団第46普通科連隊の約230人が行方不明者を捜索。85人の遺体を収容した。

 作業に当たった村田興嗣曹長(50)。出発前、病床の父は「体に十分注意し、頑張ってこい」と送り出してくれた。その最期はみとれなかった。「任務ですから。父も理解してくれるでしょう」

 被災地の各所には、自衛隊や警察に向け「ありがとう」と書かれた旗がたなびく。村田曹長は「次は任務ではなく、復興した福島を訪れたい」と話す。


≪福島第1原発事故をめぐる広島からの支援、協力≫

2011年
 3月11日 東日本大震災により福島第1原発で事故。広島県警の先遣隊が福島に向けて出発
    12日 広島大緊急被ばく医療チームが出発
    15日 陸上自衛隊第13旅団の災害派遣部隊が出発
    16日 放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)が、福島県三春町でスクリーニング検査を開始
    17日 放射線影響研究所(放影研)は、原発周辺住民らが大勢避難する山形市に研究員と技師を派遣
    28日 広島大の遠藤暁准教授は京都大との合同チームで、福島県飯舘村の線量測定を開始
 4月 1日 広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の神谷研二所長が福島県の放射線健康リスク管理
        アドバイザーに就任
     2日 広島大と福島県立医科大が連携協定を締結
    21日 日本被団協は、原発周辺からの避難者に対し生涯にわたる健康状態の把握などの対策をするよう
        国に要請
    26日 湯崎英彦広島県知事は全国知事会議で、原発周辺住民らの健康追跡調査を国に提案する考え
        を表明
 5月16日 福島県立医科大で、原発周辺で活動した警察官らの診察を開始。広島大原医研の細井義夫教授
        が線量評価を担う
    27日 広島大原医研の神谷所長、放影研の児玉和紀主席研究員が委員の福島県民健康管理調査検討
        委員会
        が初会合
 6月 8日 日本被団協は定期総会を開き、本年度の運動方針に「脱原発」を国に強く求めることを盛り込んだ
    14日 HICARE会長の土肥博雄広島赤十字・原爆病院長らが首相官邸を訪問。政府に対し、住民の健康
        管理には外部被曝だけでなく内部被曝への注意が必要と強調
    20日 広島県は、福島産加工食品の風評被害をなくす手助けをしようと、放射能検査代行を開始
 7月 1日 広島大が福島第1原発に救急医常駐の救急医療室を設置
    15日 広島大原医研の神谷所長が、福島県立医科大の副学長に就任
    28日 広島大と福島大が連携協定を締結
 8月 6日 広島市の松井一実市長は、平和記念式典の平和宣言で、核の平和利用に疑問を投げ掛ける声を紹介。
        政府にエネルギー政策の見直しを求めた
     8日 福島から広島県への避難者に広島大がホールボディーカウンター(全身測定装置)検査を開始。広島県
        が費用負担▽広島の原爆被爆者や元原発作業員らが一般社団法人「福島原発勇志作業隊」を結成し、
        福島での除染作業の協力を始める
    12日 放影研と福島県立医科大が連携協定を締結
    23日 広島大は、被災地復興に携わる人材育成が狙いの「放射線災害復興学」を2012年度開講する
        方針を表明
    27日 湯崎知事が福島県庁を訪問。佐藤雄平知事から、福島県民に対する健康管理調査の協力要員派遣を求
        められる
    29日 住民が避難した福島県南相馬市の民家から貴金属を奪ったとして、広島市安佐南区の男を窃盗の疑
        いで、広島県警捜査3課や広島中央署などの合同捜査本部が逮捕
 9月23日 広島弁護士会は、福島から広島への避難者に、東京電力への損害賠償の請求方法を助言する説明会
        を開催
    27日 福島県民の健康管理調査に、広島県は職員2人を派遣
10月 6日 福島県の内堀雅雄副知事が広島県と広島市を訪ね、原発事故後の支援に対する謝意を示す
    26日 原発事故などの被災地で医療活動ができる人材育成を目指し、広島大と日本赤十字社が協力協定を
        締結
11月20日 原発事故で延期された福島県内の統一地方選の投開票。福山市など広島県6市の選管が職員を派遣
        してサポート
12月17日 広島修道大の学生ボランティアが南相馬市の少年サッカークラブにフットサルゴールなどを届ける

(2012年1月3日朝刊掲載)

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