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元運転士女学生 あの日語る 三次の児玉さん

■記者 桜井邦彦

 65年前の広島で路面電車を運転中に被爆した三次市小田幸町の児玉豊子さん(82)が、アマチュア映像作家グループ「広島エイト倶楽部(くらぶ)」の取材を受け、被爆の体験を話した。これまで公の場で進んで証言することはなかった。「二度と争いのない世界に」との願いから引き受けた。

 児玉さんは三次市粟屋町出身。原爆が落とされた1945年8月6日当時は広島電鉄家政女学校の生徒だった。戦時の働き手不足の中、路面電車の運転士を任されていた。原爆投下前から、9月30日に郷里の三次に戻るまでを話した。

 あの日は午前5時からの早番だった。8時15分には京橋川上の御幸橋にいた。ピカッと光る閃光(せんこう)を見て、運転席左側のドアを開けた。衝撃波で車外に飛ばされた。「そこから覚えとらんの。気付いたら防空壕(ごう)に入っとった」と振り返る。

 その後、井口(広島市西区)の救護所へ行くよう指示され、救護活動や埋葬を手伝った。8月8日に三次から父親が迎えに来たが、残った。「うじがわいて苦しむ病人を見よったら、かわいそうで帰れなかった」

 傷を負った頭に包帯を巻いたまま電車の運転もこなした。「運賃は取っても取らんでもええ、と言われた」と話す。

 過去、何度か記憶を手記にしたためた。孫娘にも話して聞かせた。「私らのような体験はもう誰にもしてほしくない。どこの国も仲良うせんと」

 証言は、同倶楽部のチームが広電電車と市民の営みを追って取材中の「チンチン電車物語」に取り入れ、11月7日の公開上映会で披露する。佐々木博光会長(75)=安佐南区=は「広電電車を通して、世界平和へのメッセージを伝えたい。貴重な証言をいただいた」と話していた。

(2010年7月8日朝刊掲載)

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