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ともに被爆 「分身」ピアノ託す 広島市西区の元音楽教師 岩田さん 矢川さんの活動に共鳴

 広島市西区の元音楽教師岩田守雄さん(79)が、ともに被爆し、愛用していたピアノを、安佐南区の調律師矢川光則さん(61)に贈った。国内外で被爆ピアノの演奏会を開く矢川さんの活動に共鳴。難病で被爆体験の証言が難しくなった自らの「分身」として託した。(加納亜弥)

 ヤマハのアップライトで、鍵盤は通常より少ない85鍵。やはり音楽教師だった父正雄さん(2001年に94歳で死去)が戦前に購入したという。

 1945年8月6日、学童疎開先で足を骨折した11歳の岩田さんは舟入川口町(現中区)の自宅に戻っていた。爆心地から約2キロ。爆風に飛ばされ、頭に大きな傷を負った。高級品だったピアノも側面にガラス片を浴びた。勤労奉仕で雑魚場町(同)にいた母冨美栄さん=当時(36)=は翌7日に息絶えた。

 戦後、岩田さんは中学の音楽教師になった。しかし、50歳代後半から体調を崩す。手足や舌の筋肉がやせる球脊髄性筋萎縮症だった。退職後、次世代のためにと、請われれば被爆体験を語ってきたが、今では思うように話せない。もどかしさを募らせていた時、被爆ピアノの旋律を通じて平和を訴える矢川さんの活動を知り、寄贈を決意したという。

 ピアノの側面には原爆による無数の傷が刻まれているが、辛うじて音は出る。今月2日、工房にピアノを引き取った矢川さんは「早く調べを復活させ、岩田さんや多くの人に聞いてもらいたい」。岩田さんは「自分の『分身』を、平和への思いの継承に役立ててほしい」と願った。

(2014年4月7日朝刊掲載)

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