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元満州開拓青年義勇隊員 高齢化で最後の慰霊祭 福山 「今後も不戦誓う」

 戦時中、県東部から中国東北部に渡り、大勢が亡くなった「満州開拓青年義勇隊」の元隊員が6日、広島県福山市丸之内の備後護国神社にある拓魂碑の前で最後の慰霊祭を開いた。最年少でも84歳と高齢のため終止符を打った。元隊員たちは「戦争は子どもだった自分たちを巻き込んだ。二度としてはいけない」と訴えた。(杉本喜信)

 福山、尾道、府中市に住む元隊員10人と遺族1人が参列。主催した同義勇隊桑田中隊拓友会(約40人)の皿海久治会長(84)=福山市東深津町=が「惨禍を繰り返さぬよう今後も語り継ぐことを誓う」とあいさつ。全員で義勇隊歌を歌って冥福を祈った。

 1973年の拓魂碑建立時には他の中隊を含め300人を超す参列があったが、昨春は7人にとどまり、42回目の今年を最後と決めた。同拓友会もこの日をもって解散した。

 同拓友会によると、義勇隊には、県内から14~19歳の少年約5千人が参加し、軍の後方で軍事教練や開墾生活を送った。うち約680人が大陸で死去したとされる。

 参列した尾道市長江の薦田誠治さん(84)は高等小学校の先生の勧めで入隊し、44年5月、14歳で中国東北部へ。ハルビン市で終戦を迎えた後は中国人の元で放牧を手伝って生き延び、46年10月に帰国した。

 薦田さんは「国策の犠牲となり、栄養失調で死んでいった仲間の夢を今も見る。今後も戦争を防ぐため、若い世代に体験を語りたい」と話した。

(2014年4月7日朝刊掲載)

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