×

ニュース

似島慰霊 平和の花畑 遺骨発掘跡に有志完成 「歴史学ぶ場に」 広島市南区

 原爆投下直後に1万人ともされる負傷者が運び込まれ、多くの犠牲者が埋葬された広島市南区の似島に今春、「慰霊の広場」が完成した。その後の市の調査で多数の遺骨が発掘された跡地。季節の花で彩られ、生まれ変わった広場づくりを手掛けた島民有志は「島の歴史を学び、平和を祈る場所に」と願っている。(加納亜弥)

 島の南東部にあり、約1900平方メートル。東西の両端に高さ1・5メートルほどの小高い丘を作り、似島小、中の児童生徒が「しあわせを願う塔」「平和を願う塔」と名付けた。斜面にスミレやパンジーなどが咲く。残りのスペースには、太田川デルタと似島の形をあしらった花壇を配した。

 一帯は2004年5~7月、島民の要請を受けた市が遺骨の発掘調査をした国有地。85人分の遺骨と、名札など遺品65点が見つかった。終了後は埋め戻され更地となっていた。

 その有効活用を思い立ったのは、12年6月に地元が結成したコミュニティ交流協議会。「花の島」として似島をPRするプロジェクトの一環で、花畑にする計画を立てた。

 市が国から土地を無償で借り受け、管理を任された協議会がボランティアで整備した。瀬戸内海が舞台の博覧会「瀬戸内しまのわ2014」に連動し、実行委員会から花の提供も受けた。

 04年の発掘調査にも関わった協議会メンバーの住田吉勝さん(62)は「島民にとって大切な場所。この広場の歴史を広めたい」。平田襄副会長(67)は「さらに平和を願う花で埋め尽くしたい」と意気込んでいる。

似島の遺骨
 1945年8月6日の原爆投下直後、似島にあった陸軍第二検疫所は負傷者を収容する臨時野戦病院になった。同25日に閉鎖されるまで、推定1万人の負傷者が運ばれた。遺体は当初、近くの馬匹(ばひつ)検疫所で火葬されたが、やがて間に合わなくなり、そのまま埋葬された。市は71年と90年、2004年の計3回、発掘調査をした。

(2014年4月9日朝刊掲載)

年別アーカイブ