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被爆地の外相 存在感 NPDI会合で岸田氏 「核の傘」は維持 限界も

 軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)外相会合が12日終わった。ホスト国として議長を務めた岸田文雄外相は、爆心地のある広島1区選出。地元開催を生かして存在感を発揮し、核兵器のない世界への議論に弾みをつけた。一方、現実的な核軍縮を志向する立場は固持し続け、閣僚としての限界も垣間見えた。(藤村潤平)

 12日のメーン会合に先立ち、各国外相たちが訪れた中区の平和記念公園。原爆慰霊碑前で千羽鶴を受け取った岸田氏は、隣にいたフィリピンのアルバート・デルロサリオ外相に「佐々木禎子さんの折り鶴ですよ」と語り掛けた。原爆資料館のパノラマ模型の前でも爆心の場所を周囲に補足説明するなど、ホスト役として出席者の理解が深まるよう腐心する姿があった。

 外相会合の広島開催の意義について、岸田氏はこれまで「被爆の実相に触れていただいた上で、力強い政治メッセージを出したい」と強調。メーン会合では、各国外相から「心を非常に動かされた」「核兵器のない世界への誓いを新たにした」との発言が相次ぎ、議論に熱を帯びさせた。

 開催までの準備は周到だった。もう一つの被爆地の長崎市で1月に講演し、日本の核軍縮・不拡散の体系的な政策を発表した。NPDIが今回まとめた広島宣言の起草に関わった外務省関係者は「広島宣言は長崎での講演がベースになっている。大臣の問題意識を相当踏まえて作った」と明かす。

 ただその長崎での講演では、核兵器の使用を「極限の状況に限定するよう宣言すべきだ」とも発言。核兵器の役割を低減させる具体策の一つとして紹介したが、被爆地からは「限定使用を容認する」と批判が集中した。これを受け、広島宣言では「役割の低減を始めるよう求める」との抽象的な表現にし、修正を図った。

 被爆地の思いと日本政府の立場の間で、巧みにバランスを取った岸田氏。ただ11日にあった被爆者や市民との意見交換会などで出た、核兵器の非合法化や禁止条約の交渉開始に向けた努力を求める声に呼応することはなかった。

 米国の「核の傘」に依存する政府の一員として「核兵器の非人道性の認識を通じ、さまざまな立場にある国々を結束させたい」とするのが精いっぱいだった。

(2014年4月13日朝刊掲載)

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