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社説・コラム

憲法 解釈変更を問う 元内閣法制局長官・阪田雅裕さん

海外戦闘 平和主義失う

改正なら国民で議論を

 戦力を保持しない、交戦権は認めないと定める憲法9条2項をどう判断するか。政府が一貫して説明し続けてきたのは、自衛隊は合憲で、海外では武力行使できないということだ。国民もある程度、それが平和主義だと考えてきた。

 海外で戦闘行為をする集団的自衛権の行使を認めることは9条2項の削除に等しく、憲法の三原則のうちの平和主義が失われる。三原則を載せている教科書は間違いということになる。行使を認めれば、自衛隊は外国の軍隊と変わらない。国民が思う自衛隊、憲法の姿とは相当違う。

 東京大法学部を卒業後、旧大蔵省に入省。政府の憲法解釈を担う内閣法制局の長官を2004年から2年間務めた。退官後、06年に発足した第1次安倍内閣が集団的自衛権の行使容認を目指す議論を始めて以降、現行憲法下での容認反対の論陣を張ってきた。

 安倍晋三首相は、日本を国際法で認められる戦争を全部できる「普通の国」にしたいと考えているのだろう。ならば憲法を改正すべきだ。怒られるかもしれないが、96条を改正し憲法改正の発議要件を緩和してでもそうすべきだ。解釈変更だけで9条の意味を変えることに比べれば、はるかにまっとう。デュープロセス(法に基づく適正手続き)が必要な大きな事柄で、その努力をするのが政治だ。

 行政は憲法に基づいて行わなければならないという立憲主義に立ってみても、憲法解釈を恣意(しい)的に各内閣がいじることは好ましくないのは明らかだ。海外での戦闘で自衛隊員に犠牲者が出たり、他国の兵士を殺傷したりすることが起こりうることを国民一人一人に認識してもらうためにも国民投票を伴う憲法改正が必要だ。

 自民党の高村正彦副総裁は、砂川事件をめぐる1959年の最高裁判決が国の存立のために必要な自衛権行使は認められるとした点を挙げ「憲法が許容する必要最小限度の自衛権に、集団的自衛権の一部が含まれる」とし、限定的に容認すべきだと主張する。

 砂川事件の最高裁判決にある自衛権の中に、集団的自衛権も含まれるという議論は聞いたことがない。政府は、この判決を自衛隊合憲論の根拠にしてきた。仮に判決が集団的自衛権を否定していなくても、自衛隊が海外で武力行使できるという論理の前提として使ったことはない。

 必要最小限度の自衛権とは何とも分かりにくい。自衛隊の活動範囲に地理的な制限を設けることも難しい。9条の規定に反し、必要最小限度の範囲がどんどん広がる危険性がある。

 「(政府の)最高責任者は法制局長官ではない。私だ」。憲法解釈をめぐる安倍首相の国会答弁は、「憲法の番人」と呼ばれる内閣法制局の役割をクローズアップした。

 法制局の責任者は首相であり、首相発言は間違っていない。法制局の役割は政府の政策が憲法に適合したものになるよう意見を述べること。政府の意向に沿うことはあっても条文の意味から離れた解釈はしない。

 自らの信条などで集団的自衛権の行使容認を反対しているわけではない。憲法を素直に読み、60年にわたる憲法解釈をずっと見てきた。憲法を変えるなら、意見が十分に出て国民が最後に選択できなければ、憲法の性格からしておかしい。

 思えば憲法は少し不幸だった。もう少し不断に改正されていれば。改正できないことが定着し国民から遊離したから、解釈変更という無理筋の議論が出る。(聞き手は坂田茂)

政府の憲法解釈
 首相や内閣法制局長官らによる国会答弁や政府答弁書で決める。これまでは「憲法の番人」と呼ばれた内閣法制局が主に担当してきた。集団的自衛権については、1981年に行使を解釈で禁じた。安倍政権は安全保障環境の変化を理由に、憲法解釈の変更を閣議決定する方針。政府が憲法解釈を変えたのは65年に文民と位置付けていた自衛官を変更した1例のみ。当時の法制局長官が国会で「自衛官は文民にあらずと解すべきだ」と答弁した。

砂川事件
 東京都砂川町(現立川市)にある米軍立川基地拡張のため測量をした1957年7月、拡張に反対するデモ隊の一部が柵を壊して基地内に入ったとして、刑事特別法違反罪で7人が起訴された。東京地裁は59年3月30日、駐留米軍は憲法9条などに反し、刑事特別法の罰則は不合理として無罪判決を言い渡した。

 検察側は高裁への控訴を経ず、跳躍上告。最高裁は同年12月16日、「安保条約はわが国の存立にかかわる高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の対象外」と一審判決を破棄し、差し戻し審で有罪が確定した。この判決は「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」とした。

(2014年4月6日朝刊掲載)

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