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社説・コラム

『今を読む』 メキシコ会議に参加して

核廃絶機運 新たな高みに

 カナダ在住の広島の被爆者として、私はこれまで国連をはじめ、核軍縮・廃絶を求めるさまざまな国際会議に参加してきた。だが、「核抑止論」など一部の国の声が幅を利かせ、失望させられることも一再ではなかった。

 ところが2月13、14の両日、メキシコ・ナヤリット州であった同国主催の「第2回核兵器の人道的影響に関する会議」では、被爆者としてこれまでになく大きな励ましと勇気を与えられた。

 世界の核兵器廃絶運動は「ナヤリット会議で後戻りできない地点に達した」。議長を務めたメキシコのゴメス・ロブレド外務次官が2日間の討議をこう締めくくると、歓声と割れるような拍手が会場を埋めた。私自身、新たな廃絶機運の高まりを強く感じた歴史的な瞬間であった。

 今回の会議には、ノルウェー政府が主催した昨年3月の第1回会議を上回る146カ国の政府関係者が参加した。米ロ英仏中の核保有5カ国は不参加だったが、インドとパキスタンは出席。国連や赤十字国際委員会(ICRC)など国際機関、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に加わる各国の非政府組織(NGO)代表、日本からも被爆者や高校生らが加わった。

 会議の冒頭、メキシコのホセ・アントニオ・ミード外相は「核兵器は緊急に禁止、廃絶されるべきだ。人間の安全保障を基本とした人道的議論を進めたい」と力説した。

 続いて1時間余にわたり、広島・長崎の被爆者5人が体験を語った。その後のセッションではマーシャル諸島、ニュージーランド、カザフスタン、アルジェリア、ウクライナ、ベラルーシから参加した核実験や原発事故による被曝(ひばく)者が証言した。

 私自身は個人的な被爆体験と広島破壊の全体像を簡潔に述べた後、最も強調したい点を加えた。「被爆者は生存者の使命として世界に核廃絶を呼び掛けてきたが、70年後の今日、核軍縮が遅々として進まないのは、核保有国が自国の利益のみを追求して世界の国々を左右している傲慢(ごうまん)さ故である」と。

 具体例として、いまだに発効しない包括的核実験禁止条約(CTBT)▽核拡散防止条約(NPT)第6条で誠実な核軍縮努力がうたわれながら法的責任を無視し続けている保有5カ国▽中東での非核兵器地帯創設の交渉不成立▽延々と続く核兵器の近代化―などを挙げた。

 最後に、核保有国が世界の要求をボイコットし続けるのであれば「非核保有国と市民社会で、核廃絶への道を切り開くイニシアチブを取ろう」と強く主張した。しびれを切らしている国々の代表たちは、私の発言が彼らの思いを代弁しているかのように深くうなずいていた。

 1日目の専門家による科学的・技術的講演は、「人間と環境」に焦点を合わせ、核兵器のもたらす大量破壊を多角的に分析する内容だった。日頃は嫌というほど聞かされる核抑止論や核政策などには全く触れることがなかった。

 2日目は各国政府代表が自国の立場を表明した。大半の国々が、今こそ廃絶の行動を取るべきだと訴えた。

 それに反してオーストラリア、カナダ、ドイツ、オランダ、トルコなどは、従来通りの抑止論や、長年実りのない「段階的」な軍縮論を述べ、核保有国の「怒り」を避けるべきだと強調していた。

 私は、世界唯一の被爆国として、国際社会で核軍縮運動のリーダーと自称する日本政府代表からの発言を待った。閉会式直前にわずか3分ほどの発言はあった。だが、核廃絶を推進する言葉は一言もなかった。被爆者として、再度裏切られた思いがした。

 今年末には、オーストリア政府が主催する第3回会議がウィーンで開かれる。そこでは、核兵器禁止条約の実現を目指して法的、政治的、外交的な具体論が交わされなければならない。

 核保有国はまたもボイコットするであろうか? ナヤリット会議で高揚した核兵器廃絶の機運は後退を許さない。被爆70年を前に、日本政府の対応に世界は厳しい目を注いでいる。

カナダ在住被爆者 セツコ・サーロー
 32年広島市南区生まれ。爆心地から1・8キロの学徒動員先で被爆。広島女学院大卒業後、米国留学。結婚してカナダに移住した。ソーシャルワーカーの傍ら反核平和活動を続け、07年、民間人に与えられる最高栄誉であるカナダ勲章を受章。トロント在住。

(2014年4月8日朝刊掲載)

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