×

社説・コラム

『この人』 広島女学院大学長に就任 湊晶子さん

女性自立へ女子校貫く

 「自分の命は平和や教育のために使いたい」。そう考える原点は、高等女学校1年生で体験した千葉空襲にある。避難した防空壕(ごう)が崩れ、教職員の3分の1が死亡する中、運よく掘り起こされて命拾いした。

 広島女学院大には、東京女子大学長を退任後の2011年、創立125周年記念講演に演者として招かれた。牧師の砂本貞吉が礎となった同校の歴史を知る。宣教師がつくった女子校が多い中、同じ日本人男性の新渡戸稲造がつくった東京女子大と重なり、縁を感じたという。

 非政府組織(NGO)ワールド・ビジョンのアジア代表国際理事として、途上国の教育を支援する中、今回のオファーが舞い込んだ。高齢を心配した長女が東京の自宅近くに移り住んだ直後だった。悩んだが、平和や広島への思いが背中を押した。

 教員時代、「女が働くと子を駄目にする」との周囲の非難にめげず、子どもをおんぶしながら論文を書き続けた。東京女子大では、似通った専攻の多い学部を統合し、志願者増につなげた。「じっくり意見を聞いた後、揺るがない方針を示す。学校全体が一つの方向を向くことが大事」と強調する。

 広島女学院大は近年、一部の学科で定員割れを経験した。受験生の共学志向が一因だが、「共学化は絶対ない。女性が自立する生き方は、女子校でこそ学べる」と言い切る。東京女子大や同窓生とのパイプも生かす考えで、「自分の意見が言え、英語が話せ、寛容の精神を持つ。そんな人物を育てたい」。

 専門は、初期キリスト教史やキリスト教女性史。聖書を読むのが日課。広島市南区で暮らす。神戸市出身。(馬場洋太)

(2014年4月10日朝刊掲載)

年別アーカイブ