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社説・コラム

『潮流』 「戦後を知らない」世代

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長・宮崎智三

 日本では、なぜ記事に必ず年齢を入れるのか―。20年以上前になるが、湾岸戦争が起きたころ、フランスで取材中に現地の新聞記者から突然、そんな質問を受けた。記事を書く上で当然の作法と思っていただけに、返答に窮した。

 年齢があると、例えばその人が戦争の惨禍を身をもって知っているか、戦後の苦労も高度成長期も経験したか、見当が付く。もちろん個人差はある。それでも価値観は、どんな時代に多感な時期を過ごしたかに影響される。年齢を記すのは単なる習慣からではない。その人の人間像を推し量る材料として重要だから―。などと、悩みながら自分なりの考えを説明した。

 とりわけ、ジェットコースターのように目まぐるしい動きのあった戦前戦後の日本。世代によって価値観に明確な差が出ても不思議ではない。

 しかも今や、少しずつ積み重なった世代の「断層」が大きな壁になってしまったのではないか。最近特に、そう思うようになったのは、大学で長年「平和学」の講義を担当している人の話を聞く機会があったからだ。

 ヒットソングにもなった「戦争を知らない」世代から、「戦後を知らない」世代に時代は移りゆく。平和学そのものに攻撃的な視線を向ける若者も増えているという。原爆被害を含めたあの戦争の犠牲と反省の上に立った戦後を否定する動きが、若者に広がっているのだろうか。もしそうなら、被爆地広島としても放ってはおけまい。

 どうすればいいか。平和学関連の先生たちに聞いてみても、近道は見当たらない。現場を歩かせる▽実践体験を積ませる▽一方通行ではなく一緒に考える…。そんな愚直な取り組みを知恵を絞って重ねるしか、壁を乗り越える方法はないのかもしれない。

 ちょうど大学でも職場でも新生活がスタートする時期。あらためて心に刻みたい。

(2014年4月10日朝刊掲載)

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