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社説・コラム

テスト 天風録 「まどえ」という言葉

 「まどえ」という方言をとんと聞かない。だが弁償して、と言い換えても何か伝わらない。被爆直後の広島で、人々はこの言葉で苦しみを訴えるしかなかった。命を体を「まどえ」と▲「怒りの広島」もそうだ。「祈りの長崎」と対比させる形容である。広島大の先生が両被爆地で使われる単語を近年分析したが、差異が見つからなかった。核なき世界への願いには違いがないのだろう。怒りはのみ込んだまま▲今はむしろ、「怒りのメキシコ」か。2月に「核兵器の非人道性に関する国際会議」を政府が取り持ち、禁止条約や非合法化への機運を醸した。ノーリターン―もう後戻りさせない、と議長総括も明快である▲当地では、きのうまでNPDI外相会合が開かれていた。非核保有国の集まりだったにもかかわらず、非合法化には及び腰で終わった。これではUターンだろう。個人旅行なら被爆の実相を知ってもらって良かった、でいいが▲ゲストの米高官は保有核削減を一歩ずつ進めていることに理解を求め、原爆慰霊碑では「人間として深い同情を覚えた」と明かした。偽らざる感想だろう。だが核大国の同情ならば、やはり「まどえ」と応じなければなるまい。



(2014年4月13日朝刊掲載)

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