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村長が自責の辞職願 原爆資料館の義勇隊企画展で展示

■記者 金崎由美

 原爆投下時に建物疎開作業に当たり、多くの犠牲者が出た広島県川内村(現広島市安佐南区)の村長が、生き残った自責の念から直後に記した辞職願が、原爆資料館東館(広島市中区)で開催中の企画展「国民義勇隊」で展示されている。

 増川光太村長は1945年8月6日、川内村義勇隊長として約200人の隊員(村民)とともに現在の平和記念公園内に出動。爆心地直近のため部隊は全滅し、増川さんは現在の中区加古町にあった県庁に出向いていて難を逃れた。

 辞職願は8月24日付で県知事あて。自分一人が生き残った自責の念とともに、「体の状態も深刻」などとしたためている。

 孫の光三さん(64)=安佐南区=が、96年に亡くなった元中国新聞記者の父正三さんの遺品から見つけた。撤回を促す県の文書も一緒に残り、辞職願は返還されたとみられる。光三さんは「優しかった祖父にとって、さぞかしつらい体験だっただろう」と思いをはせる。  犠牲になった村民の遺族たちは、広島菜の栽培などで戦後を生き抜いたことでも知られる。

 原爆資料館での企画展はこのほか、大竹市、宮内村(現廿日市市)など地域や職域単位で編成された義勇隊の原爆被害に関する約100点を展示している。12月15日まで。

(2010年7月20日朝刊掲載)

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