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どう違う?日米の制度 被曝退役軍人手当てと原爆症認定

※2007年5月20日付 解説のページから。年齢などは同日現在

■記者 金崎由美

 米国には、原爆投下後の広島・長崎に占領軍として駐留した兵士ががんを患った場合、一定の条件を満たせば推定被曝(ひばく)線量にかかわらず、退役軍人向けの「傷病補償手当」を支給する法律がある。指定された21種類のがんであれば、自動的に手当の対象になる。放射線起因性を厳格に求める日本の原爆症認定制度との相違点を探る。

他のがんは依然厚い壁

 1988年に成立した「被曝退役軍人補償法」(REVC法)は、広島・長崎に駐留した被曝退役軍人を(1)46年7月1日までに、市街地から10マイル(約16キロ)の地域に入った兵士(2)戦争捕虜―の計19万5000人と想定している。

自動的に対象

 申請の窓口は退役軍人省。胃や甲状腺など21種類のがんのいずれかを患った場合、「軍務との関連性を推定する」として、自動的に手当の対象となる。毎月の支給額は、疾病の程度により100ドル-2400ドル(約1万2000円-28万8000円)。要介護加算や家族手当もある。医療費の自己負担分の免除制度も適用される。

 同法は、46年から部分的核実験停止条約が米英ソ3カ国で締結された63年までに、南太平洋や米本土で実施された大気圏核実験に参加した約20万人も対象だ。

 同法に先立つ84年、ベトナム戦争帰還兵の枯れ葉剤被害と被曝退役軍人の救済を目的とした「退役軍人ダイオキシン・被曝補償法」(VDRECS法)が成立した。だが、被曝退役軍人には疾病と被曝との因果関係の立証を求める内容だったため、救済の大きな壁になっていた。

 カリフォルニア州オレンジ郡に住むアリス・ブロディーさん(83)の夫は、海兵隊パイロットとして45年9月23日、長崎に入った。その後、南太平洋での核実験に参加した艦船の放射能汚染を除去する作業に参加。53年には、米本土の核実験に担当将校として加わった。77年、悪性リンパ腫を発症し、疾病補償手当の受給を申請したが却下され、直後に57歳で死亡した。

 ブロディーさんは「3度も被曝したのに、政府は『被曝線量はわずか』として認めなかった。新法の制定まで何度も連邦議会に通い、地元選出の議員に訴えた」と話す。79年、「全米被曝退役軍人協会」の設立に加わり、政治への働きかけに力を注いだ。

 夫への手当は88年のREVC法施行により、死後に認められた。ブロディーさんが、遺族手当として半額を受給している。

 日本の被爆者援護法が定義する入市被爆者は、原爆投下後2週間以内に広島・長崎の爆心地から約2キロ以内の地域に入った人。だが、原爆症の認定審査は、病気と被曝との因果関係の立証が大きなハードルになっている。それに比べて先進的と思える米の補償制度。しかし、課題も多い。

別の法律適用

 REVC法が定める21種類とは違うがんで申請する場合、REVC法ではなくVDRECS法に沿った審査となる。日本と同様に、推定被曝線量値や、既往症などの資料を基に、がんと放射線との間の因果関係を審査する。求められるのは「50%の蓋然(がいぜん)性」という。

 ハワイ・オアフ島在住のチャーリー・クラークさん(80)は、海軍兵員輸送艦の乗員として45年9月23日、硫黄島から長崎に到着した。当時18歳。「無防備のまま市内に入り、川で顔を洗い、水浴びをした」。30歳代で次々と歯が抜け、対象の21種類に含まれない皮膚がんを発症。全身約170カ所のがんを手術で取り除いた。

 「顔は傷だらけ。鼻も失った。95年に手当を申請したが、広島・長崎の退役軍人の皮膚がんは、『軍務との関連性を推定する』という原則の対象外として却下された」と憤る。

 退役軍人の補償問題に詳しいメリンダ・ポドゴル弁護士(イリノイ州)によると、2004年までに被曝退役軍人全体から1万8275件の手当申請があったが、認定は1875にとどまる。「放射線を測定するフィルムバッジすら携行していなかった広島・長崎の兵士について、推定被曝線量で審査するのは酷」と話す。

 兵士を被曝の危険にさらし、その後も十分な救済を行わない政府を追及しようと、被曝退役軍人やブロディーさんら遺族は、退役軍人省やエネルギー省の担当者を相手に損害賠償を求める訴訟を起こしたが、いずれも敗訴した。

 この訴訟の弁護を担当し、放射線医学の専門家でもあるダグラス・ロジンスキ弁護士(サウスカロライナ州)は、「政府は第二次世界大戦後、軍人らの反発を恐れて放射線の危険性に関する記録を隠ぺいした上、手当申請に必要な医療記録の請求に応える義務を怠ってきた。核実験に関する記録が軍事機密であることも、退役軍人に必要な証拠集めを阻んでいる」と説明する。

緊急性は共通

 72年に退役軍人省の施設が火災で全焼し、兵役記録の大半が焼失したため、広島・長崎に赴任した事実の証明につまずくケースも多い。また、退役軍人省の人員削減のあおりで、審査事務の遅滞が深刻化しているという。特にここ数年、イラクから帰還した傷病兵の急増により、被曝退役軍人の審査が後回しになっているとの指摘もある。

 クラークさんは現在、推定被曝線量を審査条件に加えない、とする法律の制定を連邦議員に働きかけている。「政府に放射線被害の実態を認めてほしい一心で闘っている。私たちには時間がない」と訴える。全体で約40万人の被曝退役軍人のうち、生存者はすでに2万人以下といわれる。救済の間口を広げる緊急性は、日米共通の課題といえる。

 米退役軍人への傷病補償手当 現役の軍人である間、軍務に伴って病気になったり、けがをしたりした場合、支給される。退役軍人省の地方事務所に支給を申請。却下処分に不服な場合、退役軍人不服審査委員会―退役軍人控訴裁―連邦巡回控訴裁―連邦最高裁、と審査が進む。

 傷病補償手当の対象となる21種類のがん 甲状腺▽乳房▽咽頭(いんとう)▽食道▽胃▽小腸▽白血病(慢性は除く)▽膵臓(すいぞう)▽多発性骨髄腫▽悪性リンパ腫▽胆管▽胆のう▽肝臓▽唾腺(だせん)▽尿管▽気管支・肺胞▽骨▽脳▽大腸▽肺▽子宮。88年のREVC法の制定時、推定被曝線量にかかわらず支給されるがんは13種類だったが、被曝退役軍人らの働き掛けで増えた。

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