被爆65年、いま伝えたい 南区の白石さんが初めて証言
10年7月26日
■記者 林淳一郎
広島市南区の被爆者白石多美子さん(71)が23日、同区の宇品公民館で地元の親子約30人に初めて被爆体験を語った。被爆65年を迎え、「いま語らなければ」と決心した。
爆心地から約4キロの旧宇品国民学校で被爆した。高熱などで1年間入院し、復学すると同級生から「原爆の病気がうつる」と言われたこと、被爆したことを結婚後もなかなか夫に明かせなかったことなどを回顧。「原爆に負けないように生きてきた。優しい言葉が大事。笑顔が返ってくるから」と語りかけた。
子ども2人と来た主婦厚井万里子さん(40)は「私も娘も平和な今を考えるいい機会になった」と話していた。
白石さんの話に先立ち、参加者はNPO法人「おりづる広島」のメンバーら6人の指導で、平和記念公園(中区)の原爆供養塔などにささげられた折り鶴を再利用した手すきはがき作りに挑戦した。
(2010年7月24日朝刊掲載)
広島市南区の被爆者白石多美子さん(71)が23日、同区の宇品公民館で地元の親子約30人に初めて被爆体験を語った。被爆65年を迎え、「いま語らなければ」と決心した。
爆心地から約4キロの旧宇品国民学校で被爆した。高熱などで1年間入院し、復学すると同級生から「原爆の病気がうつる」と言われたこと、被爆したことを結婚後もなかなか夫に明かせなかったことなどを回顧。「原爆に負けないように生きてきた。優しい言葉が大事。笑顔が返ってくるから」と語りかけた。
子ども2人と来た主婦厚井万里子さん(40)は「私も娘も平和な今を考えるいい機会になった」と話していた。
白石さんの話に先立ち、参加者はNPO法人「おりづる広島」のメンバーら6人の指導で、平和記念公園(中区)の原爆供養塔などにささげられた折り鶴を再利用した手すきはがき作りに挑戦した。
(2010年7月24日朝刊掲載)