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流麗タッチに躍る情感 26日からあすなひろし原画展 地元広島ゆかりの漫画家 「チャンピオン」黄金期の一翼

原爆の悲惨さも伝える

 被爆後の広島で多感な時期を過ごし、少女誌や少年誌、青年誌などに多彩な作品を残した漫画家あすなひろし(写真・1941~2001年)。緻密な筆遣いのイラストと、悲哀や情味あふれる物語で読者を魅了し、後進にも影響を与えた。その原画約6千枚を広島市内の親族が保管している。うち約200点を紹介する広島では初めての本格的な原画展が26日から、旧日本銀行広島支店(中区)である。(石井雄一)

 あすなは東京で生まれ、終戦間もない6歳の時、父の転勤で呉市に移り住んだ。広島市の修道中・高に進学。高校時代、担任が生徒に手を焼き、「落書きをするならこれに描け」と教室に置いた大学ノートに漫画を描いていたという。

 高校を卒業後、映画会社やデザイン会社を経て、1961年に少女漫画「まぼろしの騎士」でデビュー。当時、「少女クラブ」(講談社)の編集長で、石ノ森章太郎や赤塚不二夫を見いだした丸山昭さん(83)=埼玉県所沢市=は「最初から完成品だった。描写力や大人にも読ませるストーリーに驚いた」と語る。その後、「週刊マーガレット」「りぼん」などの少女誌に作品を次々と発表した。

 60年代後半には、青年誌や少年誌にも進出する。創刊間もない「週刊少年ジャンプ」で発表した「とうちゃんのかわいいおヨメさん」で第18回小学館漫画賞を受賞。継母に対する少年の複雑な心模様を描いた。

 あすなの代表作といえるのが、76年に「週刊少年チャンピオン」で発表した「青い空を、白い雲がかけてった」。中学3年のツトムが成長する姿を描いた青春ストーリー。連載は断続的に5年間に及んだ。手塚治虫の「ブラック・ジャック」や水島新司の「ドカベン」などとともに同誌の黄金期の一翼を担った。

 創作では常に全力を注ぐ職人だった。ペンだけで描き、背景などに使う独特の模様「カケアミ」は「誰にもまねできない」と高く評された。「もはや芸術の域。プロの漫画家たちの憧れでもあった」。漫画家・マンガ研究家みなもと太郎さん(67)=東京都新宿区=は力を込める。

 反戦や原爆がテーマの作品も多い。71年の「赤いトマト」は、放射線の脅威を伝える。「弟は感受性が強かった。被爆後の広島を目の当たりにして、相当影響を受けていると思う」と姉の今中鏡子さん(76)=広島市安佐南区=は語る。88年の「林檎(りんご)も匂わない」は、原爆が広島にもたらした闇の深さを、1人の男性の孤独を通じて表現した。

 40代半ばで、実家のある東広島市に戻った。肉体労働をしながら創作した時期もあったが、2001年に60歳で亡くなった。

 「(あすなの)原画は漫画界にとってかけがえのない財産」。そう書かれた丸山さんからの手紙が遺族に届き、今中さんは散逸していた原画の収集を始めた。出版社や知人の好意で、多くが戻ってきた。

 元アシスタントで、原画の整理に携わった植松和史さん(57)=安佐北区=は「あすなの世界観である細密さや線の勢い、立体感は原画でしか味わえない。地元ゆかりの素晴らしい漫画家がいたことを知ってほしい」。あすなの刻んだ仕事に、再び光を当てる契機となるよう願っている。

 「あすなひろし原画展ヒロシマ」は5月5日まで。4月27日午後2時から、みなもとさんたちによるトークライブ、29日午後2時からは植松さんのギャラリートークがある。開館時間は午前10時~午後7時。無料。

(2014年4月19日朝刊掲載)

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