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社説・コラム

『論』 日米首脳会談に思う 積極的「核廃絶」主義を

■論説主幹・江種則貴

 オバマ米大統領が来日した。日米同盟の強化策などをめぐり、安倍晋三首相ときょう会談する。広島、長崎が願う大統領の被爆地訪問は、今回もかなわない。

 ならば会談後に発表される共同声明で、「核のない世界」に向けた意気込みを朗々とうたい上げてもらえないだろうか。

 あの日からもう70年が近い。原爆を落とした国、落とされた国が足並みをそろえて世界平和に貢献するとすれば、核兵器廃絶への取り組みを抜きにしては語れまい。

 例えば最近の首相の口癖にならい、「私たちは積極的『核廃絶』主義に基づいて協調し、真剣に行動する責務を自覚する」などと盛り込むわけにはいかないだろうか。

 原爆の炎に焼かれ、放射線を浴び、怒りや無念をのみこんで生きてきた被爆者をこれ以上、落胆させないでほしい。

 大統領は5年前のプラハ演説で「核のない世界に向けた具体的な措置を取る」「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的責任がある」と言い切った。私たちは、驚きや高揚感とともに脳裏に刻み込んでいる。

 昨年の広島市の平和記念式典での首相あいさつも覚えている。「われわれには確実に、核兵器のない世界を実現していく責務があります。その非道を後の世に、世界に伝え続ける務めがあります」

 2人の政治家がそれぞれ、「責任」「責務」を口にした意味は重い。ところが行動が伴っているようには、とても見えない。

 大統領はもう、包括的核実験禁止条約(CTBT)の上院での批准を諦めたのだろうか。臨界前や新型の核実験を続けるのは「批准しても核兵器はいつでも使える状態にしておく」と示すことで共和党の反対派を説得したいためとされる。だがそれでは、北朝鮮の核実験を非難する資格も揺らぐ。

 首相はどうだろう。核拡散防止条約(NPT)未加盟国にも原発を輸出しようとしている。そのインドが使用済み核燃料を再処理すれば、核兵器にも転用できるプルトニウムを取り出せる。

 わが国も既に、核兵器約5千発分に相当する44トンものプルトニウムを抱えた。再処理で生じる「核のごみ」問題でさえ一向に解決していない。それでも政権は、原発の再稼働に前のめりだ。

 経済成長を優先する姿勢は、武器の禁輸を定めた三原則をほごにし、輸出促進ともいえる新ルールを定めたことにも表れていよう。

 そして極め付きは集団的自衛権だ。憲法解釈を変更して行使を容認すれば、有事の際、米軍の軍事行動に自衛隊も共同歩調を取ることにつながる。

 力をもって力を制し、自国や同盟国にとっての「平和」を保つ。それが首相のいう積極的平和主義なのだろう。核兵器によってパワーバランスを取るという核抑止の理屈とも相通じるものがある。

 米国が差し掛ける「核の傘」に自らの安全保障を頼る敗戦国の現実からすれば、それは当たり前だと見る向きもあろう。だがそれで、どうやって核のない世界を実現するというのだろう。

 日米両政府は、段階的に核軍縮を進めていけば、いずれは廃絶というゴールにたどり着くとする。これも裏を返せば、当面は核兵器を温存し、抑止力という役割を与える発想にほかならない。

 岸田文雄外相が1月に長崎市で「核兵器の使用を極限の状況に限定するよう宣言すべきだ」と述べたのも、役割の縮小を狙っての発言だった。だがそうなら、せめて核攻撃されるまで核兵器は先に使わない先制不使用宣言を全ての保有国に迫ってほしかった。

 もちろん被爆地は、そもそもの出発点を異にする。人道にそむく核兵器は絶対悪であり、ただちに廃絶するしかないと。

 安倍首相に問いたい。積極的平和主義を口にするとき「国際協調主義に基づく」との枕ことばを付けていたはずだ。ならば核兵器の非合法化を求める今の国際潮流を無視し続けるのは、一体なぜ?

 首脳会談のテーブルには核兵器禁止条約も乗せるべきだ。さらに「核抜き日米同盟」の可能性も、大いに論じてもらいたい。

(2014年4月24日朝刊掲載)

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