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反核平和願い はだしで供養

 2008年1月1日の朝、、爆心地にある広島市中区の平和記念公園で、寒風の中を靴を脱いで慰霊碑を巡る「原爆死没者はだし供養」があった。呉市の出前講談師緩急車雲助さん(76)=本名・久保浩之=が呼びかけて、13年前から続いている。

 中学生を含む21人が参加した。原爆投下時刻と同じ午前8時15分に原爆供養塔前で黙とうし、韓国人原爆犠牲者慰霊碑など4ヵ所をまわった。

 63年前の8月6日、広島は原爆で焦土と化した。歩くと、靴底が溶けてへばりついた。一方、真冬の土ははだしに痛く、感覚がなくなるほど冷たい。

 広島市内の親類宅を訪問中の横浜市の中学1年藤本一輝君(13)は「原爆で亡くなった人たちの気持ちを感じながら歩きました」と、それぞれの碑に献花し、手を合わせていた。

 18年前のことだ。雲助さんは、南アフリカから来た歌舞団と平和公園にいた。「この土の下にはおびただしい数の遺骨が眠っている」。雲助さんがそう伝えた時、歌舞団の女性たちは、靴を脱ぎ、はだしで歩き始めた。この出来事が、13年前に始めた「はだし供養」のきっかけになった。

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