×

ニュース

米から絵や書 「帰国」展 広島・本川小

■記者 二井理江

 1947年に米ワシントンの教会から届いた文房具などの支援物資のお礼に、本川小(広島市中区)の児童が贈った絵や書計48点が古里に戻ってきた。一時帰国を仲介したのは米国在住の舞台芸術家重藤マナーレ静美さん(58)=大阪市出身。29日に額装を終え、31日に当時の子どもと「対面」する。

 両親とも広島県出身。2006年、贈られた先のオール・ソウルズ・ユニテリアン教会で絵などを見て「ヒロシマを知ってもらういい機会になる」と映画制作を決意した。当時の児童とやりとりをする中、展示会を開く話が浮上。昨夏に実行委をつくって準備を進めてきた。

 重藤さんは28日、本川小同窓生で実行委の世良俊邦事務局長(63)とともに広島市中区の画材店で作品を確認。「傷みがひどかった作品がきれいになった。展示会が楽しみ」と喜んでいた。

 展示会は、被爆建物である本川小の平和資料館で8月1~9日に開く。今月31日には午後1時半から同小体育館でオープニングセレモニーをする。教会関係者や当時の児童によるパネルディスカッションなどがある。いずれも入場無料。映画は来年5月の完成を目指すという。


「この人」 本川小児童による絵や書の一時帰国を仲介 重藤マナーレ静美さん


■記者 二井理江

 米国在住30年。「私の中で常にヒロシマは大きな存在だったから」。戦後の支援物資へのお礼として本川小(広島市中区)児童が60年以上前に米国に贈った絵や書計48点の一時帰国を仲介した理由をそう語る。

 2006年8月、ワシントンの教会で、子どもたちの絵に出会った。その感動を今も覚えている。川べりに咲き誇る桜、遊具で楽しむ子ども…。「なんてきれいなんだろうって。夢や希望、そして願いが詰まった、高度な子どもの感情表現があったんです」

 ただ半世紀を過ごしたそれらの作品は、カビが生えてボロボロだった。「修復したい」。まずはそう思った。そしてこの絵などをテーマにした映画作りに取り組もうと発想は広がる。当時の子どもとやりとりをする中、「古里」で展示会開催が決まった。

 両親とも広島県出身。自身も三次市吉舎町で生まれ、15歳まで毎年、夏休みを過ごした。「原爆については自然に体に入っていた」

 しかし一般の米国人は「広島は原爆を落とされた場所という知識だけ。それ以上知ろうとはしない」。そのもどかしさがあった。来年5月の完成を目指す映画。「子どもの絵のような希望に満ちた話からなら入っていきやすい」と意気込む。

 31日には、当時の子どもが再び絵などと対面する。「いよいよなんだな、という実感がやっとわいてきました」。感慨深げだ。

 メリーランド州シルバースプリング市に米国人の夫と暮らす。

(2010年7月29日朝刊掲載)

年別アーカイブ