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大久野島の歴史展示ピンチ 校舎改築で場所足らず 忠海中生徒が20年前製作 竹原

 旧日本陸軍の毒ガス製造工場があった竹原市の大久野島の歴史を伝えようと、20年余り前に忠海中(同市忠海東町)の生徒が製作、後輩が引き継いできた資料が展示できなくなりそうだ。小中一貫校化に伴う校舎の増改築でスペースがなくなるため。当時を知る人や平和活動に携わる市民から資料の有効活用を求める声が上がっている。(山下悟史)

 資料は少なくとも100点以上ある。ふるさと学習や社会見学で戦争や大久野島について学んだ生徒が、地域の歴史を伝えたいと製作、収集した。彩色を施した島の全景模型(縦1・5メートル、横90センチ)や防護服姿の人形、毒ガス製造に使ったとみられる容器がある。

 1992年に校内に「資料室大久野島」を設けて展示、生徒会を中心に運営してきた。開設に関わった元社会科教諭の蓮浦清子さん(71)=三原市沼田東町=は「平和を願う生徒の思いが積み重なった場所。来訪者も多かった」と振り返る。

 同中は忠海地区の忠海東、忠海西小とともに2015年度、小中一貫校になる。同中の校舎を一部耐震化、増築して一貫校はスタートする。着工が迫っており、現在は資料を忠海東小に移している。

 市教委は、当時の子どもたちの思いに配慮し「活用方法を検討したい」とする。ただ新たに展示場所を設ける予定はない。新校舎のスペースに余裕がない▽資料室の来訪者、利用頻度は低下している―などが理由だ。

 市内の市民団体、毒ガス島歴史研究所の山内正之事務局長(69)は「子どもが主体となって作った歴史資料館は全国的にも珍しい。貴重な場所を残してほしい」と切望している。

(2014年4月29日朝刊掲載)

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