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疎開先の水ささげる 仁保国民学校元児童3人 原爆犠牲者を悼む

■記者 馬上稔子

 原爆投下当時、上水内村(現広島市佐伯区湯来町)に疎開していた仁保国民学校(現仁保小、南区)の元児童3人が28日、疎開先のわき水を中区の平和記念公園周辺を流れる川などにささげた。

 呼び掛け人の中野光夫さん(77)=南区=たち3人はこの日朝、疎開していた寺の井戸水や当時の通学路脇のわき水などを計5カ所でくみ、ペットボトルに詰めた。同公園周辺では、平和の池と元安川と本川に注ぎ、原爆犠牲者の冥福を祈った。

 仁保国民学校の3~6年生約340人は、1945年5月から9月まで上水内村や隣接の玖島村(現廿日市市)に疎開した。中野さんが市内に戻ると、被爆者の骨が川土手に並んでいた。その光景が忘れられず、2006年から毎年、同窓生を誘って水を届けている。

 中野さんは「同世代も犠牲になった。水を求めて亡くなった人たちに、疎開先のおいしい水をささげて、供養したい」と話していた。

(2010年7月29日朝刊掲載)

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