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社説・コラム

『東京メール』 しの笛奏者・ことさん

しの笛奏者 ことさん 広島市安佐南区出身

国内外で多くの演奏家と共演

音の持つ力 多くの人に

 しの笛をメーンにしたバンド演奏による自作のオリジナル曲を収録したファーストアルバム「龍(りゅう)の目醒(めざ)め」を昨年1月に発表した。東京や古里の広島での活動を中心に、国内外でさまざまな演奏家と共演する。

 しの笛は19歳から独学で始めました。しの笛もそうですが、世界の民族楽器は表現の面白さが幅広い。姿勢や息の使い方で音が変わる。自分の技術を高めると楽器の力をより引き出せる。多くの人との出会いや、日々の生活の中でのさまざまな気付きも音色に影響してくる。どうすれば、どんな音が出るのか。ずっと修業です。

 ライブに来てくれた若い人が、なぜか「懐かしい」と喜んでくれる。日本人の心の根底に流れている何かに働き掛けるものが、笛の音にあるんでしょう。

 今はセカンドアルバムの制作に向けた準備期間中。演奏だけでなく、棒を付けた絵を動かしながら語る「ペープサート」や、おしゃべりなど、やりたいことにトライする実験的なライブもしています。音楽に込めたメッセージを一人でも多くの人と共有したい。

 演奏のバックボーンは神楽笛にある。現在も父の出身地、広島県北広島町の苅屋形(かりやかた)神楽団に所属する。

 5歳から神楽団員の父の練習について行っていました。小中学校では吹奏楽部でフルートを吹いていましたが、かばんの中にいつも神楽笛を入れ、学校の放送室で練習したり、ミニコンサートを開いたり。父が娘の笛で神楽を舞いたいと言うので、15歳で正式に入団しました。今も秋の神楽シーズンには帰って練習しています。  神楽には譜面がないんです。先輩から基本を教えてもらうけど、アドリブが必要。太鼓や舞い手のその時の調子に合わせて吹かないといけない。自由に、個性を出すことが大事なんです。いろいろな楽器とのセッションで、その経験が生きていますね。

 祖母は被爆者。昨年8月に安佐南区であった平和コンサートで、被爆アオギリ2世の枝で作った笛を吹いた。

 その笛は優しい音でした。原爆に立ち向かい、街の復興に向けて生きた人たち全てにささげたいと、祈りを込めて吹きました。こうした機会をくれた祖母に感謝しています。

 最近、やりたいこと、目指したいことが明確になり、そこに近づいているような気がしています。音の力で人の役に立ちたいなと。悩みや病がある人たちに音の波動を届け、心と体のバランスを整えてもらうことができたら。たとえそれが引っかき傷でもいい。音の持つ力を多くの人に気付いてほしいんです。(城戸収)

こと
 本名河野友見。広島市安佐南区生まれ。中学卒業と同時に広島県北広島町の苅屋形神楽団に入団し、各地の大会で数々の賞を受ける。安田女子短大を卒業後、幼稚園教諭をしながら演奏を続け、2006年から音楽活動に専念する。東京都新宿区在住。

(2014年5月4日朝刊掲載)

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