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社説・コラム

社説 朝鮮通信使と記憶遺産 平和外交の先例 発信を

 まさに平和外交の先例といえようか。江戸時代には、朝鮮王朝から日本との親善を図る使節団「朝鮮通信使」が12回にわたって派遣されている。

 そのことを伝える史料を人類の宝物として残そうと、日本国内のゆかりの自治体などでつくる協議会が動きだした。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産への登録運動だ。いわば世界遺産の「文書版」に当たる。韓国側の団体と手を取り合う点が注目に値しよう。

 2016年に共同申請し、17年登録という目標である。歴史認識や竹島問題で日韓関係が冷え込む中、往時の友好に光を当てる意味は大きい。両国政府も関心を示しているようだ。

 瀬戸内海を船団を仕立てて行き来した朝鮮通信使。日本側で本格的に目が向けられ始めたのは1990年代からだ。研究者や民間団体の地道な調査が進むとともに、地域おこしに生かす動きも盛んになってきた。

 ゆくゆくは当時の寄港地を原爆ドームのような世界文化遺産にしたいとの声もあった。記憶遺産に目標を切り替えたのは、比較的手続きが簡単なだけではない。来年の日韓国交正常化50周年の節目を相互交流に生かしたい韓国・釜山市の外郭団体の提案を受け止めたからだ。

 まずは長崎県対馬市や下関市など協議会の有志5市で準備を進め、長崎県が国際戦略の一環として後押しするという。ただ課題は少なくない。

 登録対象の選定はこれからの段階だ。当時の国書や外交窓口だった対馬藩の記録など、国などの文化財に既に指定されているものがまず候補となろう。

 各地に残る交流の記録も忘れてはなるまい。例えば福山市鞆の浦の対潮楼(たいちょうろう)には、通信使一行の揮毫(きごう)をもとにした額が今も飾られる。呉市では、広島藩が下蒲刈島で繰り広げた盛大な接待を伝える膨大な庄屋文書が保存されている。文化財になっていないものも多い。

 現時点ではゆかりの自治体の間で熱意の差があるのは否めない。福山市や呉市は関わり方を検討している段階と聞く。輪を広げるためにも、地域に根差した史料を十分に評価していく姿勢は欠かせまい。住民の関心の高まりにもつながるはずだ。

 記憶遺産をめぐっては申請ラッシュの感がある。各国政府だけでなく、自治体や民間でも名乗りを上げられるからだ。次の登録対象が決まるのは来年。日本からは鹿児島県南九州市の特攻隊員遺書など4件の申請が集中し、文部科学省はユネスコ側から自国で2件に絞り込むよう求められた。似たような状況は今後も続くかもしれない。

 国際共同申請なら国別の枠と別の扱いになる。関係者にはそんな期待もあるようだ。とはいえ、なぜ記憶遺産を目指すのかという理由付けが明確に問われることに変わりはない。

 「人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」。ユネスコ憲章の一節だ。過去に不幸な歴史を刻んだ日本と韓国がいがみ合いを続ける現状が、そぐわないのは明らかである。

 豊臣秀吉の侵略と近代日本による植民地支配。時代のはざまで育った平和交流の種が今も各地に息づく―。その事実を自治体の手で発信し、国同士の関係改善につなげるぐらいの気構えで臨んでもらいたい。

(2014年5月8日朝刊掲載)

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