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亡き兄が見たヒロシマ追う 京都の藤森さん 日記携え訪問

■記者 新田葉子

 病に伏し、詳しい病名が分からないまま被爆7年後に亡くなった兄。病床で無念の思いをつづった日記やアルバムを携え、京都市伏見区の藤森舜司さん(68)が30日、広島を歩いた。「もう一度広島に行きたい」と言いながら果たせなかった兄の慰霊の旅だった。

 兄秀夫さんは、1945年5月に徴兵され、現在の広島市南区にあった船舶司令部暗号教育隊に配属された。8月6日、司令部があった宇品凱旋(がいせん)館で被爆。その後救援活動に携わったという。11月に京都に帰郷したが間もなく寝込むようになり、1952年に26歳で亡くなった。

 携帯していた手帳には8月6日の日付で「爆弾ガスタンク(推定)ニ命中、煙ハ天ヲ突キ地上ハ一瞬ニシテ火ノ海ト化ス」。まだ原爆とは分からなかったもののその威力のすさまじさを鉛筆で記述した。司令部の絵はがきを張ったアルバムにも原爆により、無残な姿になったと書き込んだ。

 2001年に五十回忌を済ませ、兄の日記などを読み返してきた藤森さん。そこに記されていた、片思いの広島の女性を探し出して電話や手紙で連絡をとってきた。その女性も今年亡くなった。「再び広島の地を踏めなかった兄のことがずっと心に引っ掛かっていた。連れてくる積年の夢が実現した」と喜ぶ。

 この日、凱旋館が1974年に取り壊され、公園となった場所や軍用桟橋跡を歩いた。その光景をビデオに収めながら、目を潤ませた。

(2010年7月31日朝刊掲載)

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