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空襲の悲劇 忘れまい 七十回忌 家族思う/遺族が継承の祈り

 戦時中の1945年5月10日の空襲から69年を迎えた10日、和木町や周南市で犠牲者を悼む法要や追悼式があった。

山口県和木の養専寺で法要

 旧岩国陸軍燃料廠(しょう)(現三井化学岩国大竹工場)一帯が米軍による空襲を受けた和木町では、養専寺で七十回忌の法要が営まれた。県内外から訪れた遺族たち33人が、犠牲者を悼んだ。

 参列者は、境内の「殉職者之碑」前で焼香した。染川曙美さん(76)=岩国市多田=は学徒動員中に亡くなった当時16歳の姉を思い、「姉は防空壕(ごう)の中で亡くなった。生きていたらいろんな話ができただろうに。悲しいです」と語った。

 法要は生存者たち有志が開いた。遺族の大谷和子さん(70)=香川県=が、亡き父を思った自作の詩を朗読し、「戦争で親を失う子どもがいない時代であってほしい」と訴えた。

 和木町史などによると、1945年5月10日の空襲で、隣接する興亜石油(現JX日鉱日石エネルギー)も含め、動員学徒や従業員たち356人が犠牲になったとされる。(増田咲子)

周南の追悼式に450人

 周南市徳山の市文化会館では、海軍燃料廠が米軍の爆撃を受けた徳山空襲などの犠牲者を弔う戦没者追悼式があった。遺族たち約450人が参列し、祭壇に花を供えて手を合わせた。

 追悼式では、木村健一郎市長が「戦没者の古里への思いを生かすべく、この町に住んでよかったと思えるまちづくりに全力を尽くす」と誓いを述べた。市連合遺族会の中村利孝会長(78)=同市福川=は「遺族会のメンバーも高齢化が進む。戦後70年に向けて、戦争の悲惨さを語り継ぐために子や孫とともに家族ぐるみで活動したい」と話した。

 市によると、徳山空襲は1945年5月10日と7月26~27日にあり、約千人が亡くなったという。(滝尾明日香)

(2014年5月11日朝刊掲載)

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