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社説・コラム

記者縦横 戦没者慰霊 年月の重み

■備後本社・久保友美恵

 「目と足が不自由となり参加は遠慮します」「病気になり行けなくなりました」。福山市で4月にあったメレヨン島(正式名ミクロネシア連邦ウォレアイ環礁)の戦没者慰霊祭で配られた資料に、元兵士や遺族のメッセージが並んでいた。切ない気持ちになった。

 JR福山駅の北約400メートルの神社に戦没者慰霊碑が15基ほどある。建てた人や、掃除や献花を続ける人を昨夏から捜してきた。だが遺族会の多くは解散。会の歴史を知る人は亡くなったり介護施設に入所したりして、話を聞ける人はわずかだった。年月の重さを感じた。

 取材のきっかけは、88歳の祖父に昨年6月、「元気なうちに行きたい場所がある」と言われ、初めて一緒に鹿児島県指宿市へ旅したこと。フィリピン戦没者の慰霊碑が並ぶ海沿いの公園に、祖父が戦死した兄のために建てた小さな灯籠があった。カメラ好きだった兄のことや灯籠を建てた経緯を聞いた。この機会がなければ、知ることはなかっただろうと思った。

 旅の後、福山市内の碑の建立に関わった人を取材。高齢化などで慰霊活動の継続が難しくなっている現状を記事にした。高齢の読者から「地元に碑があるが近所の子どもは意味を知らない。寂しい」と電話をもらった。若い人から「戦死した祖父について知ろうと思った」という声も届いた。

 戦後69年の夏が来る。体験者が「元気なうち」に、家族の間で、近所同士で、記憶をつなぐ動きが広がればと思う。

(2014年5月16日朝刊掲載)

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