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社説・コラム

憲法 解釈変更を問う 砂川事件弁護団に参加した弁護士(第二東京弁護士会)・新井章さん

最終決定は裁判所の仕事

砂川判決引用は的外れ

 砂川事件をめぐる裁判の争点は、駐留米軍の存在が戦力の保持を禁じる憲法9条に違反するかどうかだ。1959年の最高裁判決は、日本が「自衛権」を持つことを認めたが、個別的自衛権をめぐる議論だけで、集団的自衛権は全く関係ない。

 自民党の高村正彦副総裁は「必要最小限度の集団的自衛権を排除していない」と、この判決によって行使容認を裏付けようとした。だが、裁判官は自衛権の行使に関しての判断を留保している。これは法律家、弁護士なら否定できない明白な事実。どう考えても判決が行使容認という結論に導く根拠にならない。

 東京都砂川町(現立川市)にあった米軍基地の拡張計画反対闘争の中で起きた砂川事件で、最高裁の審理に弁護団の一員として参加した。高村氏の主張や、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が報告書で「集団的自衛権の行使を禁じていない」と引用したことを強く非難する。

 そもそも自衛隊が他国へ出掛け、武力を行使することは憲法9条が禁じている。砂川事件の判決も、それを踏まえて出された。

 一方で国民の多くは9条を尊重しつつ、武器を備える自衛隊の存在も認めてきた。自衛隊の活動を必要最小限度の自国防衛に限定したからだ。政府が時間をかけて築いてきた憲法解釈を国民は支持している。

 個人的には日本国憲法が好き。ほれちゃった。新憲法は15歳の時に公布されたが「一人一人の人間を大事にする」「戦争は二度としない」「国際関係は尊敬されるやり方でやっていく」と聞かされれば、誰もが感銘を受ける。今の憲法は優れたものだが、もちろん時代に合わせて変えてもいい。9条の規定と自衛隊の存在との間に矛盾があるなら、改憲も選択肢になるだろう。

 しかし一つの政権が都合よく憲法解釈を変更できるとすれば、法の支配に反する。選挙でどんなに多くの票を得たとしても、憲法解釈を最終決定する権限はない。それは「法の番人」である裁判所の仕事。裁判所は憲法問題に積極的に関わるべきだし、国民も裁判所に催促すべきだ。

 「積極的平和主義」を掲げる安倍晋三首相。15日の記者会見では「1国だけで平和を守ることはできない」と、集団的自衛権問題を念頭に国際貢献を強調した。

 積極的平和主義は、海外での武力行使に道を開く方便で、実に巧妙だ。平和的手段で平和を達成するのが本当の意味の積極的平和主義。首相の問題提起は軍事、防衛、安全保障ばかりだ。今の憲法だって日本の平和だけが守られれば良し、とはしていない。

 国民が先の戦争の悲劇と失敗を反省し、二度と繰り返さないための制度的な歯止めは何かをきちんと考えてこなかったことが、今の議論を生み出している。併せて、リアルな米国観というものも研ぎ澄まさなければならない。オバマ大統領は集団的自衛権の行使容認を支持したが、国際政治の現実として米国が常に「平和の使徒」だったか。日本やアジアに対する米国の戦略を、日本が主体的に捉え、今と将来の対米姿勢を決める必要があると思う。(聞き手は坂田茂)

砂川事件
 1957年7月、東京都砂川町(現立川市)の米軍基地に立ち入ったデモ参加者7人が、刑事特別法違反罪で起訴された。東京地裁は59年3月、日米安全保障条約に基づく駐留米軍を憲法9条が禁じた「戦力」に当たるとして無罪を言い渡した。検察側は高裁への控訴を経ず、跳躍上告。最高裁は同12月、安保条約や駐留米軍を「司法審査権の範囲外」として、一審判決を破棄し、差し戻した。後に有罪が確定した。

(2014年5月19日朝刊掲載)

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