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社説・コラム

『潮流』 負の歴史の「考古学」

■論説副主幹・佐田尾信作

 眼鏡は遺愛の品だろう。普通は粗末にされない。ところが、それが土の中から出てきたとしたら…。

 標高千メートルを超す群馬県草津町の国立ハンセン病療養所栗生楽泉園(くりうらくせんえん)。構内に先日開館した重監房資料館を訪ねると、そんな出土品の数々が報告されていた。資料館建設に伴い、重監房跡地で発掘された。

 重監房は同園の外れに戦後間もない1947年まで実在した。表向きは特別病室だが、実態は戦時下に「不穏分子」を全国の療養所から送り込んだ懲罰房だった。「獄死者」も23人を数えている。くだんの眼鏡は持ち主にも遺族にも返されることなく、打ち捨てられた私物ではなかろうか。

 出土品はほかにも多数ある。例えば大小いくつもの南京錠。4重の扉で閉ざされていた証拠である。欠けた木の茶わん。うまく水が飲めなかったという過去の証言の裏付けになった。げたもある。脱ぐ間もなく押し込められたのか。

 意外な物も出た。牛乳瓶や栄養剤の瓶、卵の殻…。食事当番の入所者がこっそり差し入れたのだろう。粗末な食事と、冬は酷寒に耐える僚友を思う心情がうかがえて、胸が詰まる。

 館内には重監房が再現されている。先日死去した楽泉園入所者で詩人の谺(こだま)雄二さんが働き掛け、10年越しで実現したという。高さ4メートルの塀で囲われ、真っ暗だったという房内は真っ暗にしてある。

 折しも、この地で開かれたハンセン病市民学会で調査を担当した研究者は「皆さんもぜひ、収監されてください」と呼び掛けた。わが身で追体験してほしいという意味合いだろう。

 むろん、証言から分かる陰惨な空気まで再現することはできまい。だが、新憲法どころか旧憲法にも反する、裁判なしの拘禁があった知られざる歴史は伝えられる。眼鏡一つにも、見る側は想像力を働かせたい。

(2014年5月17日朝刊掲載)

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