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原爆投下後の足取り 後世に 三次の中村さん体験本を出版

 17歳の時、爆心地から約1キロの広島市大手町(現中区)で被爆した中村孝之さん(86)=三次市十日市東=が、自身の体験を口述してまとめた小冊子「私の被爆体験」を自費出版した。「多くの人の支えのおかげで今生きていられる。被爆の惨状や生きた証しを後世に残したい」との思いを込めた。

 冊子作りには、中村さんと同じ三次市内の高齢者向け住宅で暮らし、自身も入市被爆した郷土史研究家の藤村耕市さん(84)が協力。中村さんの首や手に残るやけどの痕について尋ね、被爆が原因と打ち明けられたのがきっかけで、「沈黙を続ける被爆者は今なお大勢いる。体験を形にして残してはどうか」と後押しした。3月に2回、中村さんから当時の体験を聞き取り、書き起こした。

 中村さんは、旧広島県作木村(現三次市作木町)生まれ。被爆当時、広島市平野町(現中区)に下宿して広島市立第二工業学校(夜間制、現広島市工業高)の機械科に通学。昼は大手町の会社に勤めていた。

 1945年8月6日午前8時15分、会社の前で原爆の閃光(せんこう)を浴びた。その直後、爆風で吹き飛ばされ、全身に大やけどを負った。下宿先や、江波(現中区)にあった陸軍病院、広島駅(現南区)など市内を約20キロさまよった。その間、下宿先の友人からやけどに塗る油を、見知らぬ女性からは足袋をもらったという。

 その後、中村さんは三次市へ戻り市内の会社で約40年間勤務。病気がちで入退院や手術を繰り返し、現在も闘病生活を送る。「人前で話したり、上手に書いたりできなかったので、被爆者への弔いの気持ちを形に残せてよかった。核兵器のない世界が実現してほしい」と話している。

 小冊子はA5判、一部カラーで、17ページ。被爆直後の足取りをたどった広島市内の地図や、首や手に残るやけどの痕の写真も盛り込んだ。80部印刷し、三次市立図書館や県立図書館、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に寄贈した。(野平慧一)

(2014年5月19日朝刊掲載)

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