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光満ちる風景 ヒロシマ胸に 広島の泉美術館で新延輝雄展

 「没後2年 真実へのまなざし―新延輝雄展」が、広島市西区商工センターの泉美術館で開かれている。戦後の広島の洋画壇をリードした新延輝雄(1922~2012年)。穏やかな光をたたえた風景画約50点が並ぶ。

 展示は50代後半からの作品で、南フランスやイタリア、ギリシャの街角を描いた油彩が中心だ。新延の代名詞ともなったハーフトーン(中間階調)の色彩が響き合い、安らぎに満ちる。何かを主張するよりも、見る者を誘い、包み込むような絵画世界だ。

 会場で、新延と親交のあった3人の対談があった。中国新聞社の元美術記者で呉市立美術館館長の寺本泰輔さん(76)は、こうした作風の新延をあえて「原爆の惨禍、ヒロシマを胸に描き続けた画家」と評する。

 広島市中心部の呉服商の家に生まれた新延は、両親を原爆で失う。本人は東京美術学校(現東京芸術大)を卒業後、帰郷して教職に就くが、市外に疎開していて生き延びた。焦土から復興する故郷で後進の育成にも尽くす。

 画中によく現れる女性と子犬について、「あれは母と私」と打ち明けたことがあったという。寺本さんは「ただ穏やかなだけの絵ではない」と強調した。

 会派で活動をともにした日洋会理事長の画家塗師(ぬし)祥一郎さん(82)は、「鎮魂や癒やしを求め、ある意味で天国を描いた」とみる。建物に囲まれた路地の風景なのに大きな空間を感じさせ、光があふれる魅力を指摘した。

 新延に師事した日洋会瀬戸内支部長の三原捷宏(かつひろ)さん(72)は、恩師の模索の日々に触れた。早くから画才を見せた新延だが、戦後長い間、テーマや作風は揺れ動く。「55歳で南仏カーニュの風景に出合い、ようやく手にした画風。それからせきを切ったように名品が生まれた」

 安らぎと穏やかさに満ちた画面から、そこに達し得た新延の厳しさ、激しさも見いだせる展示といえそうだ。6月1日まで、月曜休館。中国新聞社などの主催。(道面雅量)

(2014年5月21日朝刊掲載)

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