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仲間を供養 祈念館に登録 北九州の中島さん

■記者 増田咲子

 旧陸軍船舶特別幹部候補生隊に所属した中島睦男さん(85)=北九州市=が、広島市中区の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に仲間の名前や遺影の登録を続けている。65年前、市中心部などに点在していた仲間の多くは直爆を受けた。自らは江田島に派遣されていて難を逃れたが「せめてもの供養に」と願いを込める。

 当時20歳だった中島さんは1945年8月6日午前には広島に戻り、横川や段原、仁保など各地で仲間を捜し歩いた。見つけても求められた水を与えることもできず、助けられなかったという。

 「16、17歳で亡くなった仲間がいたという事実を残したい」。追悼祈念館ができた2002年ごろ、そう思い立った。あの年の9月までに死亡した仲間の名簿のコピーを追悼祈念館に寄贈。遺族以外でも非公開を条件に登録できるようになったことから昨年9月には100人余りの仲間の名前を登録した。

 「生きている限り、遺族を捜して登録を呼び掛ける」。3日も追悼祈念館を訪れ、新たに登録された遺影などを確認した。

(2010年8月4日朝刊掲載)

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