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社説・コラム

今を読む 「美味しんぼ」が示す現実

風評被害の問題ではない

 今回の漫画「美味(おい)しんぼ」騒ぎでまず感じたのは、「悲しかった」ということだ。

 私は福島で生まれ育った。幼い頃は唱歌「ふるさと」の歌詞のように、野山を駆け巡り小川で魚とりばかりしていた。家の周りは、なしの木が多く、2人の娘の名前に「梨」を付けたほど「くだもの王国福島」に誇りがある。

 東日本大震災では、開業している岩手県宮古市で被災した。福島を故郷に持ち岩手に住む者として、1編の漫画から、日本社会が被災地を忘れている現実を突き付けられたことが「悲しかった」のだ。

 まず医師として作者に疑義を呈したい。低線量被曝(ひばく)の健康への影響については、知見が定まっておらず断定することができない。その事実を作者は知っていたはずではないか、と思うのだ。にもかかわらず人気漫画で描写された「証言」はたやすく「事実」として人々に届いてしまう。

 批判を受けた後の「福島の真実」編の最終回では「福島の人たちに、危ないところから逃げる勇気を持ってほしいと言いたいのだ」と登場人物に語らせている。これも、作者はなぜ「広汎(こうはん)な健康調査を継続的に実施し、因果関係を早期に突き止めるべきだ」と言わせなかったのだろうか。

 私が心配するのは決して風評被害ではない。むしろ危惧するのは、福島に住む人々、あるいは福島を離れた人々が(「美味しんぼ」なりの)「福島の真実」という「やいば」を自分自身に向けてしまわないかということだ。

 大震災の年から私が代表理事を務める法人が「よりそいホットライン」という無料電話相談を始めた。日々多数の原発事故に由来する相談が寄せられている。母と子どもだけが県外に避難した離ればなれの生活に耐えられない、自主避難先で「放射能がうつる」「福島に帰れ」といじめに遭った、子どもに半袖の服を着せられない、自主避難したことで親族に責められる―など深刻な話ばかりだ。

 うつ状態になっている相談者も多く、被災地の「自殺念慮」の電話件数は全国平均の3倍近くにもなっている。1600人を超えた福島の震災関連死も、避難を余儀なくされた人が大半だ。だからこそ、曖昧な根拠で被災した人々の生きる力を奪うようなことあってはならない。

 だが、閣僚や政治家の反応も納得できなかった。例えば「福島に行くたびに元気になる」という発言には、一体どんな意味があるのだろうか。

 彼らが問題にすべきは「漫画がもたらす風評被害」ではあるまい。そもそも健康状態を確かめることと、風評被害を防ぐことは次元が違う話であり、本気で福島の被災者の健康を考えるなら違う言い方があってしかるべきだ。

 「科学的に証明されていない」などと漫画の描写を批判するのではなく、科学的な証明を急ぎ、人々を安心させることにこそ、まず取り組まなければならない。その上で真摯(しんし)に被災者と向き合い、「もし因果関係が認められた場合は国の責任で補償を確実に行う」と言うべきだろう。

 福島を考える時、「水俣」を想起せざるを得ない。医学的にメチル水銀の影響を証明するのは非常に困難でありながら、3月に出された環境省の通知によれば、水俣病と認定されるためには症状との因果関係を申請者本人が証明しなければならないという。

 現実になってほしくはないが、福島で低線量被曝と健康被害の因果関係が確認された時には、県外に避難した人々も含め18歳以下の三十数万人の子どもの被曝量の確認を誰が行うのだろうか。それを準備する政府の決断の時期は差し迫っていると思う。

 健康被害がないという証明もできない現実では、「被曝を避けて暮らす権利」を認め、自主的に他の地域に移住する被災者を法的に支援する具体策も喫緊の課題だ。

 福島について先の政治家のように、聞き心地のよい言葉をよく耳にするが、どれもこれも要らない。福島の今を「わがこと」として全国の皆さんが考えてくれる日が来ることを願っている。

 そう締めくくらずにはいられない。

内科医・元岩手県宮古市長 熊坂義裕
 52年福島市生まれ。弘前大医学部卒業。勤務医を経て87年開業。97年から宮古市長3期。現在は京都大医学部非常勤講師なども務める。

(2014年5月24日朝刊掲載)

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