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広島大学 イラン医師受け入れ 毒ガス治療を指導

■記者 岡田 浩一

 広島大大学院医歯薬学総合研究科(広島市南区)の病理学研究室は1月中旬から3週間、イランの医師と看護師計4人を受け入れ、イラン・イラク戦争(1980―88年)による毒ガス被害者の診療・研究システムを確立するためのノウハウを指導する。核兵器開発問題でイランが国際的孤立を深める中、同国の毒ガス関係の医師らが国外で研修を受けるのは初めて。2004年、広島国際文化財団とともに中国新聞社が実施した広島世界平和ミッションで、イランを訪問した参加者が始めた草の根交流が実を結んだ。

 一行は、大学准教授1人、被害者の呼吸器障害の治療に取り組む医師2人、看護師1人。計画では竹原市の呉共済病院・忠海分院で、同市大久野島の旧陸軍毒ガス製造工場で被害を受けた患者約4,000人分の定期健康診断結果や後遺症の経過記録に関する仕組みを学ぶ。

 4人は南区の放射線影響研究所(放影研)で、被爆者の疫学調査についても研修を受ける。世界で唯一、6,800例に及ぶ毒ガス後遺症の研究実績を蓄積する広島大や広島市内の総合病院などでも、肺の標本の研究、最新鋭機器を使った検査などの専門技術を学ぶ。

 イラン政府によると、イラク軍はイラン・イラク戦争で約300回にわたって毒ガスのマスタードガスを使用。約10万人のイラン人が死傷し、今も約50,000人が呼吸器や皮膚、目などの障害に苦しんでいるという。科学的な実態把握や治療はほとんど進んでいない。

 広島世界平和ミッションのメンバー5人と随行の中国新聞記者ら3人は、04年3月にイランを訪問し、イラン市民に広島の原爆被害の実態を伝えるとともに、イラク国境に近い毒ガス被害地域を訪ね、現地の被害住民らと交流した。帰国後、ミッションのメンバーの1人で、東区にある特定非営利活動法人(NPO法人)「モーストの会」の津谷静子理事長が中心となり、04年8月から毎年、毒ガス被害者を平和記念式典に招き、健康診断も実施してきた。06年には病理学研究室の井内康輝教授が、津谷さんらに同行してイランを訪問。首都テヘランにある医療研究センターとの共同研究と人材交流について覚書を交わした。今回の医療関係者4人の受け入れは、具体的な交流の実現といえる。渡航費はイラン側が負担し、滞在費は病理学研究室とモーストの会が持つ。

 井内教授は「原爆と毒ガスという2つの大きな戦争被害の研究を重ねてきた広島大の研究者の責任として、イランで科学的な研究、治療を実現するための人材を育てたい」と熱意をこめて語る。津谷さんも「広島は被爆後の復興過程で、世界から差し延べられた救いの手によって励まされてきた。イラン国内でもあまり顧みられてこなかった毒ガス被害者を救えるよう、人的交流を続けたい」と話している。

広島世界平和ミッション
中国新聞社と同新聞社などが設立した広島国際文化財団が協力し、2004年から05年にかけて、被爆者ら市民を核保有国や紛争国などに派遣した被爆60周年プロジェクト。20世紀から続く核戦争の脅威に加え、2001年の「9・11米中枢同時テロ事件」後、地球上ではテロと報復戦争が繰り返えされ、暴力と憎悪が支配する悪循環に陥った。こうした状況を受け、被爆者をはじめ広島市民らが原爆被爆体験の教訓から学んだ「平和と和解」のメッセージと原爆被害の実態を、核保有国や紛争国の市民らに伝えようと行われた。プロジェクトへの応募者計86人の中から、各グループ5~4人を選考。派遣期間は3~5週間。04年3月に第一陣をイラン・南アフリカ共和国へ派遣、最後の第六陣は05年5月に米国から帰国した。参加者は被爆者9人を含む計29人。広島在住の中国人やロシア人、米国人ら外国人5人も加わった。訪問国はロシア、中国、韓国、フランス、英国、インド、パキスタンなど計13カ国。
詳細は
http://www.chugoku-np.co.jp/hwpm/ (日本語)
http://www.chugoku-np.co.jp/hwpm/e/index.html (English)

旧陸軍毒ガス製造工場
1929年、旧日本陸軍は広島県竹原市忠海町の沖合約3キロにある大久野島に、毒ガス製造工場を建設。45年の第二次世界大戦終結時まで続いた。この間にイペリットやルイサイト、青酸ガスなど約6,600トンを製造した。同工場では終戦までに一般工員、徴用工、動員学徒ら7,000人近くが作業に従事。今も約4,000人が慢性気管支炎などの後遺症を抱える。

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