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前夫が巡り合わせた証人 岡山の岩間さんが被爆者手帳 

■記者 金崎由美、山田太一

 被爆から65年目の春、岡山市南区の岩間愛子さん(91)が被爆者健康手帳を取得した。娘の努力と周囲の協力が実を結び「2人以上の被爆証人」などの条件を乗り越えた。

 岩間さんは、広島軍管区砲兵補充隊(現在の中区基町)で被爆した夫常治さん(32)=当時=を捜すため、実父と1945年8月18日に岡山から広島入りした。行方は結局分からず、誰のものとも分からぬ遺骨だけ受け取った。3年後に周囲の強い勧めで再婚し、前夫については黙したまま戦後を生きた。

 手帳取得のきっかけを作ったのは、岩間さんに背負われ生後8カ月で被爆した長女、丸尾泉さん(65)=大阪府豊中市=だった。

 岩間さんは、夫が亡くなった3年前から徐々に前夫の話をするようになった。丸尾さんも記憶にはない父について知りたい思いに駆られた。その中で手帳の存在を知り昨年6月、書類を代筆し岡山県に提出した。

 証人捜しは、広島県被団協(坪井直理事長)に相談したことで光が差した。常治さんと同じ部隊にいた兄を捜して入市した佐藤俊夫さん(78)=呉市=につながったのだ。

 遺骨の引き取り場所に張られた白いテント、倒壊した2本の太い柱…。佐藤さんの記憶は、岩間さんのそれと重なった。岩間さんの父が常治さんに持たせたのとまったく同じ名刀を佐藤さんは焼け野原で目撃し、手記にも書いていた。今年3月、岩間さんのもとに手帳が届いた。

 これだけ年月を要したのは、常治さんの記憶を心にしまっていたからでもある。「ほっておいてすみません」と語りながら仏壇に手帳を供え、娘と抱き合って泣いた。佐藤さんは「ずっと刀の事が気になっていた。何かの縁を感じる」と喜ぶ。厚生労働省によると、手帳の交付数は99年度が1457件、10年後の08年度は518件。時の壁は高い。しかし、県被団協の佐藤奈保子事務局次長(63)は「可能性を捨てないで」と呼び掛ける。

(2010年8月5日朝刊掲載)

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