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社説・コラム

私の学び 国連訓練調査研究所(ユニタール)広島事務所長・隈元美穂子さん 

路上生活脱出を後押し

 国連訓練調査研究所(ユニタール)の役割は平和のための人づくり。世界各国の政府関係者や研究者たちに、紛争からの復興や安全保障などを学ぶ場を提供している。拠点は3カ所。スイスのジュネーブ本部、米国のニューヨーク事務所、そして私が1月に所長となった広島事務所だ。

 前職は発展途上国を支援する国連開発計画(UNDP)。気候変動への対応策の提言などに没頭した。国連を目指して一直線だったわけではない。自分の興味に正直に道を選んできた。振り返ると、曲がりくねった道だった。

 10代のころ、海外と英語への憧れから外交官や通訳を夢見た。米国の大学へ進学し、4年生のときに専攻をビジネスから心理学に替えた。就職先がないと忠告されたが構わなかった。好きな方向に進んでさえいれば幸せだった。

 やはり仕事はなく、帰国して、通訳として電力会社に入社。そこで国際協力にかかわる局面が訪れた。中国やタイなどでの技術協力や施設建設が盛んになってきたからだ。

 海外出張を重ねるうち、活力に満ちた途上国の雰囲気に引かれた。29歳。通訳の経験も積んだ。安定か、冒険か。悩んだ末、開発経済を学ぶため、米コロンビア大の国際公共政策大学院へ進んだ。

 在学中の2000年の夏休みに、途上国支援の非政府組織(NGO)のインターンとして入ったバングラデシュで衝撃的な体験をした。いまの私の原点ともいえる。

 そこでは、路上で暮らし、物乞いをする母子がたくさんいた。警察官に棒で追い払われ、まるで物扱い。不衛生で、多くの人が下痢に苦しみ、死んでいた。病院には行けない。学校にも通えず、字が読めない。貧困から抜け出す選択肢は皆無だ。こんなの許されない。私の仕事はこれだ、と思った。

 そのNGOの支援の柱は、現地の女性向けに少額を無担保で貸すことだった。融資を受けた人たちは鶏を手に入れて卵を売ったり、種を買って農業を始めたりした。自らの力で選択肢を切り開いていた。お仕着せでないサポートと現地の人たちの力。国際支援の成否を握る鍵を学んだ。

 人を育てる大切さを痛感し、現在は中高生への講演活動にも力を入れている。15年ぶりの日本。これまでの経験を還元したい。(聞き手は奥田美奈子)

くまもと・みほこ
 福岡県出身。米ウエストバージニア大卒。九州電力を経て、米コロンビア大国際公共政策大学院修了。2001年に国連開発計画(UNDP)へ入り、インドネシアやサモアなどで勤務。14年1月から現職。

(2014年6月2日朝刊掲載)

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