×

ニュース

若者がつなぐ8・6の祈り 高齢者から託され灯籠流し6年目

■編集委員 木ノ元陽子 

 8月6日の夜、広島市中区の元安川を照らすとうろう流し。高齢で参加が困難になった被爆者や戦争体験者に代わり、預かった灯籠(とうろう)を川に流すボランティアが5年前の被爆60年から始まった。「ピース・ポーター・プロジェクト(PPP)」。担い手は20代を中心とする若者だ。託された願いを大事に抱え、次代につないでいこうとしている。

 先月下旬、PPP代表の保田麻友さん(25)=周南市=たち7人が専用の色紙を携え、中区の「悠悠タウン江波デイサービスセンター」を訪れた。「今年もこの季節を迎えられた。ありがたいねえ」。そう言って、お年寄りはペンをにぎる。

 「平和でありますように」「戦争反対」「核廃絶を願う」…。一筆ごとに力を込め、色紙にメッセージを書き込む。傍らで見入っていた若者が、勇気をふるって語りかける。「体験を聞かせてもらえませんか」

 被爆した女性(82)は、今も目に焼き付く閃光(せんこう)のまぶしさを語った。「家の天井は落ち、ふすまも吹き飛んだ。2歳の妹を抱いて夢中で逃げた」。もう一人の女性(92)は終戦翌年、旧満州(中国東北部)から5人の子どもを連れて引き揚げた。「広島の街は焼け、比治山と原爆ドームしかなかった気がする」と記憶をたどった。

 「私たちは、貴重な証言をじかに聞ける最後の世代。この活動を通じて、継承者である自分の使命を再確認できる」と保田さんは自身に言い聞かせる。

 PPPの始まりは2005年。当時、保田さんは広島修道大3年だった。広島市のボランティア団体「とうろう流しを支える市民」の一員として当日の手伝いをする中で、高齢者の参加が減りつつあることに気付いた。

 被爆者の高齢化は今後も進み、人数も減っていく。このまま接点が失われていくのを、見過ごしたくなかった。自分たちが代理でメッセージを運ぶことが継承につながる―。そんな思いからPPPを結成した。

 保田さんの祖母も被爆者だった。だが、生前に体験を語ることはなかった。聞こうとしたが、父に制止された。「つらい記憶を思い出させることはない」と。祖母が亡くなってから、PPPを始めた。体験をじかに聞く貴さを、かみしめるようになった。

 「祖母から話を聞きたかった。強く頼めばよかった。未来に伝えていきたいからって」。そんな後悔が、保田さんを動かす。

 今年も55人の灯籠を預かった。社会人になった今は県外に住み、思うように活動を広げられない。「でも、続けていきます。立ち止まっている時間はないから」

 とうろう流しは今年も6日午後6~9時、原爆ドーム前の元安川である。

(2010年8月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ