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平和の願い 父から娘へ 初代館長の六女・中山さん 原爆資料館を訪問

■記者 新田葉子

 広島市中区、原爆資料館の初代館長として礎を築いた故長岡省吾さんの六女、中山叔子さん(76)=福岡県飯塚市=が5日、資料館を訪れた。原爆投下の翌日から被爆瓦や石などを収集した父。資料のメモに懐かしい字を見つけた。「再会」できた父の熱意に力をもらい、6日の平和記念式典に福岡県の遺族代表として初めて参列する。

 長岡さんは65年前、山口県にいて難を逃れたが、その日のうちに入市。翌日からは大竹市の自宅を毎日リュックサックを背負って出て広島に向かい、被爆資料を持ち帰ったという。1949年から資料館の前身となる原爆参考資料陳列室に勤務。55年の資料館開館と同時に初代館長に就いた。1973年に71歳で亡くなるまで原爆被害の研究を続けた。

 11代目に当たる前田耕一郎館長は、中山さんと初めて面会。長岡さんのメモが残る資料を示し「ずっと一人で地道な作業を続けられた。その努力がなければ現在の資料館はありません」と感謝した。

 中山さんは「当時はがらくただと、母も嘆いていた。今は一つ一つに原爆の恐ろしさを伝えたかった父の思いを感じ、資料を見ると父に会っているような気がします」と喜んでいた。

 中山さん自身も大竹市の玖波国民学校(現玖波小)で救護に当たり、被爆者健康手帳を持つ。地元の被爆者団体で事務局長を務め、相談員としても活動する。「ずっと背を見て育った大好きな父。私も平和のためにこれからも働いていく」。式典で亡き父に決意を伝えるつもりだ。

(2010年8月6日朝刊掲載)

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