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社説・コラム

暴力・貧困 しなやかに抵抗 尾形明子さん 評伝「宇野千代」刊行 初期作品 社会派の側面

 岩国市出身の作家宇野千代さん(1996年、98歳で死去)に、社会派の一面があることを指摘した評伝「宇野千代」(新典社)が出版された。筆者の文芸評論家尾形明子さん(川崎市)は、宇野さんの初期作品に、暴力や貧困など社会矛盾への「かみつくような姿勢」を見て取っている。尾形さんに思いを聞いた。(串信考)

 「宇野千代」はB6判、288ページ。尾形さんは、宇野さんたちが作品を発表した昭和初期の文芸誌「女人芸術」の研究で第一人者。膨大な資料を読み込み、宇野さんの自伝的作品「生きて行く私」の中ではあまり書かれていない岩国での少女時代に迫っている。

 1章「岩国からの脱出」で描かれた子どものころの生活は痛々しい。生母と死別した後、実父のすさまじい暴力におびえながら、妹や弟の面倒をみる日々。その父も15歳のときに亡くなった。24歳ごろから本格的に小説を書き始める。

 宇野さんの初期作品は主に大正時代、無名だったころに書かれた約100編。尾形さんは「多くは宇野さんが自らの経験を基に書いたとみていい」と話す。

 22(大正11)年に発表された「墓を発(あば)く」は、岩国の小学校が舞台。女性教師を主人公に、県内一斉の統一テストの成績を上げるため、詰め込み教育を指示する校長、軍隊の演習で田畑を荒らされた児童の親たちの嘆き、演習の際、熱中症になって死亡した兵士の妻の悲憤などが描かれる。

 尾形さんは宇野さんの本質に反戦、反軍隊につながる思想をみている。「父親の暴力に耐えるしかなかった幼い日の記憶によって形成されたのではないか」

 女性の低賃金労働をテーマにした「巷(ちまた)の雑音」や、貧しい夫婦の生活苦を描いた「夢」という作品もあり、社会への痛烈な批判が感じられる。

 しかし、昭和の初め、流行作家になるにつれて宇野さんの作品は変化する。尾形さんは「初期作品にみられるリアリズムを、宇野さんは文壇で生き残っていくために封印する。美意識に基づいて、洗練された世界をつくりあげる作家へと脱皮していった」と話した。

 戦時中は軍の要請を断り一度も従軍しなかった。従軍記を残さなかった数少ない作家の一人でもある。

 戦後、代表作「おはん」を書き上げ、野間文芸賞、女流文学者賞を受賞。さらに作家としての業績に日本芸術院賞が贈られる。

 83(昭和58)年、「生きて行く私」が刊行され、ベストセラーに。「私は変則な子供時代を送った」「無頼な父」などとあるが、複雑だった家庭の事情はベールに包まれているという。

 「どうしようもなくつらい存在であっても、やはり父親を愛していた」。ありのままはとても書けない宇野さんは、父親を抽象的に表現するしかなかった。

 尾形さんは「初期作品には、ドメスティックバイオレンス(DV)など現代に通じる問題がある」と指摘する。東京で本格的に執筆活動に入って以降、男性の作家や画家たちとの恋の遍歴のイメージが強い宇野さんだが、知られざる一面を再評価してほしい、と。

 「彼女の本質は暴力的な支配に対して、しなやかに抵抗する強靱(きょうじん)さ。日本で最高の女性作家だった」

 尾形さんは7日午後2時半、岩国市のシンフォニア岩国で講演する。水西倶楽部(くらぶ)主催。一般2千円。定員になり次第締め切る。

おがた・あきこ
 67年早稲田大文学部卒。同大大学院博士課程を経て、東京女学館大教授を務めた。自然主義文学と女性文学を専門にする。「華やかな孤独 作家林芙美子」など。東京生まれ。

(2014年6月4日朝刊掲載)

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