×

ニュース

ルース米大使 交流の場なく足早帰途

■記者 馬上稔子、加納亜弥

 平和記念式典には、原爆を投下した米国から初めて政府代表として、ルース駐日大使が参列した。約1時間の式典が終わると、被爆者たちと言葉を交わすこともなく、足早に会場を去った。

 ルース大使は式典の約30分前に会場に到着。秋葉忠利市長と笑顔で握手を交わした後、一般参列者とは離れ、各国大使たちが並ぶ来賓席のほぼ中央に着席した。

 式典が始まると、厳しい表情に。原爆投下時刻の午前8時15分には背筋を伸ばして起立し、黙とうをささげた。時折、額に浮かぶ汗をハンカチでぬぐいながらも真っすぐ前を見据え、秋葉市長の平和宣言などに聞き入っていた。

 式典後は厳重な警備の中、そのまま車に乗り込み会場を後にした。

 米国政府代表の初参加に、被爆者や参列者はさまざまな受け止めを示した。学徒動員先で被爆した山崎登さん(81)=広島市佐伯区=は「核兵器廃絶に向けた雪解けのようだ」と希望を見いだす。

 原爆で姉を失った渡辺ヱミ子さん(80)=大阪府豊能町=は「今でも悲しみが消えない。もっと早く参列し、慰めの言葉も欲しかった」と注文した。

 ルース大使は就任間もない昨年10月、広島を訪れ、原爆慰霊碑に花を手向け、原爆資料館も見学。「広島での体験をオバマ大統領に伝えたい」と言い残していた。

 資料館を案内した前田耕一郎館長は、説明文を読みながらじっくり展示品を見入っていた姿が印象に残っている。「平和を祈る式典に米国をはじめ新たに核保有国が出席したこと自体が大きな意味を持つ」と話した。

(2010年8月7日朝刊掲載)

関連記事
被爆65年式典 核に傘離脱 未来への一歩(10年8月 6日)

年別アーカイブ