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日露戦争 戦没者の名簿 山口県内1909人分 山口・洞春寺で発見 人数裏付ける

 日露戦争(1904~05年)の山口県内の戦没者を書きとめたとみられる1909人分の名簿が、山口市水の上町の洞春寺で見つかった。県史などでは日露戦争の県内の戦没者は1908人とされているが、具体的な名前や人数を裏付ける資料は開戦から100年を超える年月を経て失われ、数字だけが残っているという。名簿には1909人分の名前や住所が残されており、貴重な歴史資料として注目されそうだ。

 名簿は2冊あり、表紙には「明治三十七八年忠死者名簿」と書かれている。明治37年は日露戦争開戦の1904年、同38年は終戦の05年にあたる。縦約28センチ、横約20センチの罫紙(けいし)には戦没者とみられる名前や住所、軍での肩書のほか「明治○年○月○日 清国ニテ死亡」など、亡くなった日時や場所もそれぞれ筆書で残されている。

 同寺の深野宗泉住職(42)が4月、戦国時代からの戦死者をまつる法華千部会(せんぶえ)の準備中に、厨子(ずし)と呼ばれる戸棚に保管されているのを偶然見つけたという。

 日露戦争による山口県内の戦没者は、県史に1908人と記載されている。編集した県史編さん室は「当時の新聞の記録などを頼りに記載したが、この数字を具体的に裏付ける資料はない」という。

 厚生労働省社会援護局も「日中戦争以降の戦没者は把握しているが、日露戦争の資料は扱っていない」としている。

 洞春寺は、戦国大名毛利元就の菩提寺(ぼだいじ)として建てられた名刹(めいさつ)で、明治維新後に現在地に移った。1904年には日露戦争の県内の戦災孤児を集める山口育児院が寺に創立されており、こうした縁で戦没者の名簿が収められた可能性が高いとみられる。

 同寺には明治期の元老井上馨の墓所もある。深野住職は1世紀以上前の貴重な資料に驚く一方、「明治期の廃仏毀釈(きしゃく)の影響で毛利家の支援が薄れた寺を案じた井上が、県内戦没者をまつることで寺の維持を図ろうと働きかけてくれた可能性もある」と話している。(折口慎一郎)

(2014年6月15日朝刊掲載)

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